見出し画像

春の陽気のような文章を


次女から「ママはどの季節が好き?」と聞かれて、少し考えたあとに「冬と春の間ぐらいかな」と答える自分がいた。それまで、どんな季節が好きなのか、深く考えたことがなかったように思う。夏は暑いから嫌だ、冬は寒いから嫌だ、というものはあるけれど、なんで私は冬と春の間が好きなんだろう。特別に良い思い出は無いけれど、なぜだか春が来ると思うと心が小躍りするのだ。

ふと、そういえば私は春生まれだったなと思い出した。冬と春の間では無いけれど、桜が散ってピンク色の空から青々しくなるころに私は生まれた。可愛らしい花びらが咲いた姿も好きだけれど、花びらが散ったあとの木々が少し寂しそうな姿も好きだ。どちらも、桜であることは変わらないから。大切なことは見た目だけじゃ分からない。

画像1

最近、書くことに対して考えることが多かった。もう少し優しい文章を書きたいな、とか、肩の力を抜いて書けないかな、とか色んなことを考えた。仲良くしてくださっている人達が素敵な文章を書かれる人達ばかりで、「私もあんな風に書けるようになりたい」と気持ちだけが焦っていたように思う。もちろんこの気持ちが悪いわけじゃないけれど、「あの人のように書きたい」と思い過ぎると、そこから私の文章は私じゃなくなる。それって、なんだか違う。上手に書けるようになりたいのは確かだけれど、私は私の文章を書きたいんだ。

そう思っていると、この数日でたくさんの私の書いた文章に対しての嬉しいお言葉をいただいた。どれも心が温まるものばかりで、とても嬉しかった。とある方からの「救われました」という言葉に、私こそが救われた。それは過去の私もそうだし、今の私もそうだ。過去の誰にも言えなかった記憶を書いて、それによって誰かのためになったりほんの少しでも誰かの心が軽くなったりするのなら、心の底から書いて良かったと思える。苦しかったけど、消化出来ているかといえばまだまだだけれど、そのことを文章にすることで誰かが救われるのならばやっぱり私も救われるのだ。私は誰かのために文章を書いているし、そしてなによりも自分のために文章を書いている。

私の書いた文章が、誰かの心を動かした。それがどれだけ嬉しいことか。もちろんそれは、ただ書いているだけでは経験出来ない。私の文章を読んで、私の書いた文章に込められた想いを受け取ってくださる方がいるからこそだ。どんなにありがたいことだろう。「書くお仕事がしたい」、「自分が書いた文章で誰かの役に立ちたい」と思ってnoteを始めたのが昨年の夏だった。まだ一年も経っていないのが嘘のような密度の濃い体験を何度もさせていただいた。noteと、私の文章を読んでくださっている方々への感謝の気持ちで胸が詰まった。


書くことは自分と向き合うこと。それは時に苦しくなるけれど、私にとっては必要なことだ。ずっと胸の奥深くで眠っていた感情が、文章にすると勢いよく溢れ出す。新しい自分に気付くことが出来るし、たくさん傷付いた心を癒すことも出来る。人と人を繋ぐことも、人の温かさや優しさに触れることも。どれだけ悩むことがあっても、私が書いた言葉たちが私を守ってくれる。

私にとって言葉、そして書くこととは生きる上で欠かせないものになっている。

だから私は、言葉を、書くことをこれからも大切ににしていきたいと思う。そして、春みたいに穏やかで暖かい木漏れ日に包まれているような温かい文章をこれからも書いていきたい。



この記事が参加している募集

noteでよかったこと

noteの書き方

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはライターとしての勉強代や本の購入に使わせていただきます。