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もう戻れない日々を、懐かしいあのときを


年明けすぐに1歳になった末っ子が上手に歩くようになった。誕生日を迎えたころは覚束なかった足取りが、親と手を繋ぎながらよちよちと歩く。まだまだ小さいのに自分の足で立ち、そして歩いている末っ子を見てなんだか感慨深い気持ちになった。

最近、末っ子は散歩が好きだ。朝、お兄ちゃんとお姉ちゃんたちが幼稚園や学校へ行くとお見送りのために玄関へ行き、「ぼくも!」と言わんばかりにお兄ちゃんからのお下がりであるちっちゃな靴を私に向けて持ってくる。

あぁ、この子の靴を買わなきゃな。

だいぶしっかりと歩けるようになってきたから、週末は末っ子の靴を買いに出かけよう。そう思いながら、「はいはい、ちゃんと上着を着ないと風邪引いちゃうからね」と親子ともに上着を着て、私はマスクもして早朝に家の周りを散歩した。


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うちのすぐ隣には公園がある。公園の周りには桜の木があって、公園の前を通ると末っ子がその桜の木々たちを指さして「あぶー」と何かを伝えようとしている。

「ここは公園で、あれは桜の木だよ」

末っ子と目線を合わせるために屈んで、一緒に桜の木を見上げた。まだ三月になったばかりで桜の木々たちはまだ満開になる準備をしているのだろう。どの木も枝木で、あと一ヶ月もすればここは桜の花びらでいっぱいになるのだなと思ったらほんわかと胸の奥が温かくなった。桜が咲くころには、末っ子は今よりももっと上手に歩けているだろうか。話す言葉もひとつやふたつ増えるかもしれない。今日だって、散歩途中に遭遇した犬を見て「わんわん、だよ」と教えたらすぐに「わんわん!」と言って喜んでいた。

子供の成長は早い。よく良く考えれば、末っ子と歩いているこの道だって何年か前は長男とよく歩いていた道だし、それよりもっと前は長女や次女とも歩いていた。「手を繋ごうね」、「道路は危ないよ」と言いながら一緒に歩いて、ときには抱っこもした。変わらない景色のなかで、隣にいる子が変わってゆく。それは嬉しくもあり、なんだか少し寂しさも感じた。


私が子供のころは桜に見向きもしなかった。でも、今は桜を見ると優しい気持ちになって、そしてちょっぴり切なくなるのはきっと小さかった子供たちの姿を思い出すからかもしれない。

もう戻れない日々を、懐かしいあのときを思い出すからだ。

そんなことを考えるようになった私は、長女を生んだばかりのあの頃と比べて少しは親らしくなれているのだろうか。


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もうあと一ヶ月もすれば、公園の前を通ると満開の桜たちがお出迎えをしてくれる。桜の花びらが舞い、公園がピンク色に染まる。長女が生まれて初めての春を迎えたとき、初めて買った帽子を被せて散歩をして二人きりの花見をした。三月生まれの次女が生まれたときはまだ外に出られず、義母と桜を見てきた長女が私に桜の花びらを持ってきてくれた。そんな二人が幼稚園に上がり、長男が生まれた。長男を抱っこ紐で抱きながら、桜吹雪のなかを走り回る長女と次女の姿を追いかけた。

そして今、わたしの隣には1歳になったばかりの末っ子がいる。

小さなその手で母親の手を握り締めながら、所々たどたどしく、でもしっかりと地面を踏み込んでゆく姿は可愛らしくもありとても頼もしかった。


早く、春が来ないかな。

今年も満開の桜を、子供たちの成長と共に感じたい。





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