見出し画像

ゆっくり丁寧なお菓子づくりを

自己紹介からしていきます。

はじめまして。pâtissierの中塚隆雄と申します。   6月より北海道足寄町に移住しお菓子を作り届けていきます。コロナウイルスの影響で暗くなった世の中を少しでも明るくしていきたいと思います。

コンクール受賞歴


第9回クインビーガーデン メープルスイーツコンテスト パティスリー部門 優勝
作品名 les feuilles d'automne 紅葉

第4回 ロールワングランプリ 第3位
作品名 京都産丹波栗ロール~C'est ma vie~

第7回アンドレ・ルコント杯コンクール
新作賞
作品名 Paris=Brest&Fraise Pirtache

第一回ダルメイン世界マーマレードアワード日本大会 プロの部 複数の柑橘のマーマレード 銀賞
プロの部 ミックスマーマレード   銅賞

パティシエになったきっかけ

昭和61年生まれ。京都では珍しい小さな牧場の家庭に生まれる。当時は祖父母と両親、兄弟三人で計七人で暮らしていました。

画像4

大人になって自分の好きな職業に至るまでは小さなきっかけの積み重ねだと私は思ます。

私の場合は姉が二人いたので幼い頃からよく電子レンジに付いているレシピ本を見てクッキーやババロアを作ったりしていました。                テレビ番組も料理の鉄人や、ひとりでできるもん!とかクッキングパパや美味しんぼが好きでコックコートカッコいいなぁ〜とか思ったりトリュフとかフォアグラってどんな味するんだろ〜とか妄想してワクワクしていたのを覚えています。見様見真似で卵焼きとかチャーハンを一人で作ったりしていました。

お菓子を作るだけで無く、なんでも作るのが好きだったので工作したり絵を描いたりもしていました。プラモデルやミニ四駆にもハマりましたね。

これが今の私の原点になります。

両親が物を大切に扱うので、当時使っていた計量器が未だに実家には残っています。今のデジタルタイプではないので良くこんなんで作ってたなと今は思います。  

この計りでも便利な方だとは思いますが今はよりなんでも便利になっているので、これを見るとなんだか考える事の大切さや道具を大切に使う事。初心にかえる気持ちになります。

画像1

特に夢がなかった学生時代

その後は特別に夢があったりこれをしたいとかは無く過ごしていた中高生時代。むしろ何をやっても続かない弱虫で気弱な男の子でした。             そんなある日テレビをつけると、「たけしの誰でもピカソ」と言う番組で当時東京のデフェールと言うケーキ屋さんのシェフパティシエ安食雄二さんがビートたけしさんをイメージし音楽に合わせてケーキ製作パフォーマンスをされているシーンをみて電撃が走りました。   カッカッかっこいい!!なんだこれは。。 しかもこれ食べれるのか…。スゲェ。。             それからと言うもののそのシーンが頭から離れずもうパティシエになりたくてたまらなくなりました。    どうやったらなれるんだ…。            

画像3

考えたあげくたどり着いた答えは料理番組で良く耳にする辻学園。                    これだ!!                    両親からは大学に行って欲しいと言われていて、高校も進学校に不真面目に通っていました。笑       そしてある日パティシエになりたいと両親に伝えました。両親はいろんな意味でやはり驚いていましたが、私はわくわくが止まらずオープンキャンパスでオムレットと言うお菓子が作れるので楽しくてたまらなかったのを今でも覚えています。両親は学費にも驚きを隠せなかったみたいです。泣

たった一年で大学4年通えるくらいお金がかかるので今の仕事ができている事は本当に親に感謝しかありません。

充実した学校生活   

その後はそれはもう楽しい学生生活でした。     この時お菓子作りを天職にするぞ!!と意気込んでいまた。                       人生初めて楽しくて休みの日まで遊び以外に時間を費やす日々のスタート。とにかく無形の材料が食べれるお菓子に変わっていって甘〜い香りがするのが幸せなんです。色が変わったり膨らんだり、滑らかになったり固まったり。とにかく楽しいんです。

夢と現実は大違い厳しい現実にぶち当たる

学校も無事卒業し無事国家資格の製菓衛生師免許取得出来て、はじめての就職先は京都では有名な町のお菓子屋さん菓子職人さん。パティシエの技術だけでは無く社会人として愛情を持って育ててくださった稲井チーフと奥様のみほこさん。ダメダメだった私を育ててくださって。感謝しかありません。             

パティシエの仕事は想像以上に重労働、あれもこれもと頭を使いながら体を動かしながら且つ繊細に。

初めはそれはもうグダグダで雇ってもらえている事自体が奇跡でした。

粉玉が出来たり…生焼けだったり…シュークリームの生地が先輩は30gで100個とれるのに仕込みが悪く80個しか取れなかったり。プリン焼きすぎたり…。それでも何とか雇って下さったおかげで今があります。。

画像2

まだ本格始動までは時間がありますので今は私のこれまでの歩みをギュッと短縮して発信していきます。本格始動は6月頃を予定しております。

こだわり抜いたお菓子を丁寧に作ります。

何を作るかはお楽しみに…。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?