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それって神のちからですか?

出会って間もないのに、信仰をすすめてくるひとがいる。
家に訪ねて来てインターホンを鳴らしてくる知らないひとがいる。
道を歩いていてすれ違いざまに、講演会に来ませんか?
クルマで送りますよ、などと迫ってくるひともいる。

私は余程、暇そうで救いを求めているように見えてるのだろうなと思う。
これほど出会うとは。。。
興味本位で団体の建物に付いて行って入ったことはある。
入信の準備の講義も聴いた。
ふつうに面白くなかったから付き合いをやめた。

好奇心だけは強くて、さまざまなヒーリングや代替医療を受けたり
宗教観に基づいた内容の書籍を読んだり、生死について考えたりジャンル問わず自己流でやってきた。瞑想もやった。
知らないひとがお勧めしてくれる教えはとても薄っぺらに聴こえて、いまそんなことを言う?と思ってしまった。
教義を記した冊子はとても分厚くて、すぐに読めるようなものではないので簡単にわかるようにおしえてもらえるのだが、共感できたり帰依したいと考えるに至らなかった。

私は自分勝手に生きてきて、いま家庭や家族に束縛されているのはやってみたいから企画・実演=自分でやってみている。
存在意義がなくなれば相談の上、解散するかも。
そういう人間なので、極端になにかを不安に思ったり、思い通りにならないことを悲観せずに過ごしているから、特になんの教えもいまは必要ない。
若い頃は、自分や他人がなぜこうなるのだって知りたくていろいろ求めて彷徨ったけど。

先日、宗教団体で出会った両親から誕生した知り合いに会った。
生まれる前からその世界に生きているので、教えのない日常を知らない。
仕事とかしている分には表に出てこないが、自宅にお邪魔すると垣間見えるものがある。
彼らは人体に手をかざして祈るのだが、そこそこ効くらしい。
痛みを緩和するとか、安眠できるとか。
私が経験から察するに、個人的に霊的な能力の持ち主はなんらかのパワーを発することができるが、持ち得ないひとにとってはどれだけ回を重ねてもなにも特別なことは起きない。
ただ、祈られたほうは、その行為に対して感謝はできると思う。
神や教義に結び付けなくても、祈ってくれたひとの気持ちに対して感謝をすればいいと思う。それで構わないと思う。
ひとのためになにかすることが、まず有り難い。

今日は別の知り合いの全身アロマオイルマッサージの練習台になった。
手を直接つかって凝っている箇所を流してもらった。
お祈りの手かざしもオイルマッサージも医療や神は関係ない。
でも、施術後はよく眠れるし、心も安らぐだろう。
ひとの体温や想いが届くからだ。

奇跡を起こしたがるひとは多い。
これが○○の特別なチカラだ!
と信じたいなら信じればいい。

私は生きているいま目の前にいるひとに「ありがとう」と
伝えるだけで充分だと感じている。
どこか遠くのよくわらない偶像やいつか亡くなった誰かに手を合わせるのもいいが、支えてくれる家族や友人、恋人に感謝を持って暮らしていれば
高いお布施も、輝くお堂も、魔除けもなくても
自然に輝いて強くなれると思う。
まずそばにいるひとから見つめる。

信者を増やそうとして気の合うかどうかわからないひとを探して彷徨わないで、心から楽しめる趣味や友人たちと1秒でも長く過ごしてほしいな、
と私を誘ってくれたひとに対していつも思っている。

あのひとたちがいつも寂しそうだから。
それがこれを書いた理由。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスにきてくださいね。













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