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父をそっと消した。太陽、冥王星、月

父は認知症で遠い場所の施設にいる。
最後に会ったときは、息子がまだ赤ん坊でほんとうに嬉しそうに抱いてくれた。
話しながら「で、あなたは誰でしたっけ?」と私に聞くので、
娘ですよ、あなたの2回目の結婚でできた次女です、と何度も言わないといけなかった。
接客業や営業を長らく、というかほぼそのような仕事しかしていない父だったので適当な相槌がとても上手かった。
いまは姉が後見人になったので、諸々のことを一切任せている。

私の中学校卒業のタイミングで母と逃げることに決めて、逃亡先の高校を受験した。
滑り止めもその家から通える場所にあった。
父の出張のタイミングで家を出た。

自分が虐待サバイバー的なものであると思い出したのは、5年程前にPTA総務部で共に活動していたメンバーが「近々、こどもを連れて夫から逃げます」と言ってきたときだった。
そういえば、自分も母と逃げて、母は好きではなかったけどあのタイミングで決行してくれてその後も育ててくれたことに感謝してるのであなたも自分を責めないで自信持って生きてください、とお別れのメッセージを送った。
これは本音で。
彼女たちはシェルターかどこかへ行ったのだと思う。
事後に夫君があることないこと言って探し回っていると噂を聞いてぞっとした。

私の父はそこまでのことはなかった。
むしろ、私たちが被災したときにカップラーメンをたくさん持って、線路が途切れたところから電車を降りてものすごい距離を歩いて見舞いにきてくれた。
地震のあと最初に訪ねてきたのが父で、二番目がのちに私と母へ殺人未遂をした母の元彼で、三番目に連れ出してくれたのが私の気に入っていた社長だった。さすがにうちは異常だな、って思った。

父はひとりぼっちになって、自分の人生を反芻したようだった。
家族がそばにいるのが当たり前じゃないって、思い直しただけましだった。
妻に捨てられるのが二度目だったということもあるのだろう。
それでも私は父に対して複雑な感情が消えなかった。

母は情緒が壊れていて、良心の呵責を感じない、こどもの話しを笑顔で聴くみたいなことをしないし、夫に対しても温かい接し方ができていなかったのだと思う。
どっちもどっちだと幼いながら見ていた。

いまになって混沌としたこども時代を洗って整理したく、西洋占星術のなかで考え続けている。
いい歳をして親のこといつまで言ってんだ、と思う方は家族の業を背負っていないのだろう。
私の選択した生命は祖先の業を終わらせたり自分を生きるためにそこを通過すると決めているのだと思っている。

《 私の出生図より 》
アセンダント獅子座、チャートルーラー太陽が3ハウス
太陽に冥王星がオーブ0°で合 ←最終的には父親を駆逐したい
太陽に4ハウス海王星が60°  ←父の存在があやふや、消える可能性
太陽に12ハウスブラックムーンが60°←父性の暗黒面を見る
太陽と月が90°         ←夫婦は折り合わないという認識をもつ
月に冥王星がスクエア    ←母に恨みを持つ

これは、私自身に限った個別の解釈であり普遍的なものではない。
自分が経験したできごとや感情に、惑星のもたらす影響を当てはめている。ここに書かないが太陽のマイナーアスペクトもある。

月にも難があるが、太陽に多めに難ありで
私は父や夫という存在になにかを託すことができずに未婚で出産した。
自分がこどもにとって父であり母でもあろうとしたのだ。
けっきょくどうしようもなくなって結婚した。
グダグダだ。
夫は太陽土星スクエア、月冥王星スクエアを持っており、月が私と同じ山羊座だった。
当初はよく理解できていなかったが、振り返ると共に
欠けた父性を共に一から積み上げる
月光反転で言うならば
蟹座=母性を望むカタチで再現する(幼少期のそれではなく)
このような自分なりの家族像を実現したい思いが結実した結婚だった。
つまりは双方、両親に不満があったので利害が一致した。
あとでそれが火種で揉めたのだが。

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結婚なんて、正解がないし、結果が出せたとか言えるものではないけど
曲りなりに親とは違う、親になれたんじゃないかと思っている。
意思疎通が致命的に欠けていた私のこども時代には後悔しかなくて、
いまは闊達に家族間で意思表示をできるようになっている。
こどもおとな関係なく。
もちろん心のうちすべてではないが。
親だから偉いとも思えないし、山羊月はポンコツだし(笑)
こどもからおしえてもらうことは日々、膨大にある。

父が認知症になるまでずっと見張られているように感じていた。
私のことをもう忘れてしまった、とはっきりわかったときにはじめて解放された。
父の生前は。。。と振り返ってしまうときに、あぁもう私の父はいないんだ、と心からほっとしている自分に気づいた。まだ存命だけど。
それが救いでもある。亡くなってからでは遅くて。
母のことはずいぶん前に、心のなかでミュートした。
会って食事もするし話すけれど、理解されなくてけっこうだと開き直っているので、話しを聞き入れられたら逆に驚くくらいで構えている。
こうしてここに書けるようになったのも、怖さがなくなっているから。

月の時代、7歳頃までに抱いた家族や自己イメージはそう簡単に消せるものではない。
快いものであれば気に留めないかもしれない。
不快だと猛烈に気になるのだ。
どうにかしたいと思いながらなかなかできないのが人間だ。


前向きとか後ろ向き、という感情に対する評価は、愚かな肉体をもった我々の浅薄な価値観に過ぎなくて、本来はもっと大きな目的で生命を味わって来いよという慈悲を受けているのに気づかずにバタバタしているのが人生なんだろうな、と思う。

上手く行かないと悲観しないで
それも含めて全うしに来た
長い目で見たら全部つながってる
大きなシナリオのなかで生きている。
情けない自分を遠~くからニヤニヤして眺める
そのくらいがちょうどいいんじゃないかな。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスにきてくださいね。









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