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フグは味がしなかった。

河豚を一番食べていたのは高校生の頃だった。

母が大阪で社長の愛人をしていたので、呼び出されてよくいっしょに
てっさ、てっちりを食べた。
ヒレ酒の匂いも嗅いだ。飲んではいない。

河豚の身には味があまりなくて、鍋にしたときの出汁が旨い。最後の雑炊で味を回収する。
刺し身は食感がプリプリしていて、あさつきやもみじおろしとポン酢で食べると満足感があった。
カウンターの小料理屋でメニューに値段がない、時価の店にも入った。
秋刀魚の刺し身ははじめて食べたとき感動した。
そういう店で食べたものは、その後いっさい口にしていない。
ふつうに暮らしていたら食べることのないものだった。

社長は話しが面白いというか、単純に気が合ったので私は好きだった。
ワンマンタイプだったので、最終的には母と喧嘩して別れてしまった。
面白い男だったのに残念だった。
現在は馴染みの女と再婚してしあわせに暮らしているらしい。
風の噂で聴いた。

私は自分から誰かと積極的に関わる方法がわからなくて声をかけられるのを待つことが多かったし、幸運なことに誰かにいつも声をかけてもらえていた。
寂しいときに、自分でどうやって解消するのかがわからなかった。
ひとに声をかける理由がない、かけても何をしたらよいかわからない、
自分が声をかけていいのだろうか、
そんなことを思ったらひとりで時間を延々と過ごすことになった。

話し相手がいない。母では話し相手にならない。
でも、社長は私のことを認めてくれていると思っていたのだ。
ご馳走はあんまり興味なくて社長に会えるのが嬉しかった。

たまに私を殴っていた父親は元気にしているだろうか、と思い出すことがあった。
父は底意地が悪いということもなく、いい奴でもなくて、
ネグレクトというかやむを得ない事情で兄弟のなかで自分だけ親から離されて育ってきた愛情に飢えたひとだった。
そのまま親になって急にまともになる訳もなく、感情を突然暴発したりしていた。
同じく崩壊家庭で育った母はそれを上手く宥めることもできず、私が主に殴られたりしていた。

震災後直後、三人の男が来た話しはコチラ↓

誰も自分を認めない、誉めることもない、適切なタイミングで叱り、導くこともない。
そういう私にどういう価値があるのか、まったく掴めなかった。

だからフリーターをしながら、居酒屋の店長とか、ラウンジのママとか、社会のおとなに教えを乞うて、姿を見て、相対的に自分の価値を探した。
おとなは信用ならないし、尊敬できる人間ばかりではないことを早くから知っていて、会社という組織に縛られて尊敬できない上司の元で働くことなど耐え難いと考えていたので、いつでも環境を変えられるようにアルバイトを貫くことにしていた。

貧しくて乾麺を茹でて醤油をかけたりしていたが、そのときは寂しさを感じても自由だし、着実になにかを掴みながら生きている実感があった。

お客さんが私に酒をついでほしいと呼んでくれたこと(居酒屋に指名制はないが)、接客対応を店長が才能だと言ってくれたこと、ママが誉めてかわいがってくれたこと、部長が期待してくれたこと、バイト仲間と毎日ラーメンを食べたこと。

その頃の、積み重ねで少しずつだが自分の価値を信じられるようになった。

ただ、自分を追い込み過ぎてる自覚がなくて激しい皮膚病になった。
調べて行った皮膚科はホメオパシーを保険診療の時間外にやっていて、予めレポートを書くように言われて私は10枚程、書いて持参した。
家族のことや自分がどんな思いで生きていたかをつらつら書いたら枚数が増えてしまった。

孤児のレメディ」というものを処方された。
親元で育っていても、孤児のような気持ちだからです、と医師は言った。
感情的に寄り添うような話し方ではないが、レポートを読んで否定しなかったこと、かわいそうという評価をしないで客観的に理解してくれたことがとても有り難く、新鮮だった。
家族はとても主観的で感情的で辟易していたから。

処方されたのはなにかを染み込ませた砂糖玉で、それ自体に効果を期待してはいなかったが、誰にも言えなかった澱をぶちまけてそれを嫌がられなかったことで、ずいぶん癒された。

不思議なことに、それ以降は頻繁に寂しさを感じることがなくなって、自分の湧き上がる気持ちに正直に、嫌なことは嫌だと言い、やりたいことをやるという当たり前に必要な行動をとれるようになった。

こどもを育てるようになって、もっとも必要なのはご馳走ではなくて
「見られている、認められている」とこども自身が感じられる環境ではないかと思う。
誰も自分を見ていない、認めていないと思っているこどもは、どうなっていくだろう。
生きている意味を感じなくなったり、非行に走るのではないかな。

丁寧な言葉遣いとか、学力とかは後からでも本人の意志で身に着けられるもので、私が与えられるのは
いつでも見てるし、お前は最高!
っていうメッセージだと思ってて、ある年齢までは干渉するし、たまに暴言も吐くし、抱きしめるし、贔屓目なくフラットに見てアゲたりもサゲたりもする。
とにかく本気でぶつかるようにしている。
適当だとバレるからね。
こどもたちは私みたいに、正体不明の寂しさを感じてほしくない。

それでも、こどもひとりひとりに理想があって
「こんな親じゃないほうがよかった」
って言われるのは覚悟している。
自分もそこそこ恵まれているのに親に不満がいっぱいあったから。
でもタダでしてやれることは惜しみなくやることにしている。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスにきてくださいね。







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