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第2回|「新渡月」が嵐山の楽しい思い出の一部分になったら

(※2018年4月7日の記事です)
T⇒TAKE
I⇒イケポン

I:創業80年と聞いたけど、代々長く受け継がれているんだね。

T:そうだね。創業は80年~100年で、その辺あやふやしてる。

I:というと?

T:記録が残ってなくて。曾祖父ちゃんがここで商売しとったみたいやねんけど、それがいつ開業したのかって分からなくて。ただ期間を短く見積もって80年。

I:長く見積もったら100年くらい、と。

T:そうそう。で、短く見積もって80年っていってたのが、6年前やから、今なら短く見積もっても90年くらいかな。

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“曾祖父ちゃんがここで商売しとったみたいやねんけど、それがいつ開業したのかって分からなくて。ただ期間を短く見積もって80年。”


I:2016年5月に大幅なリニューアルをしてってことだったけど、それが初めての改装になるのかな。

自然な流れでチームをプロデュースする側に回ってて。どうやったら勝てるのかってことずっと考えてた。


T:そうだね。ずっと同じレイアウトやった。古ーい定食屋で、仕入れ麺使ったうどん蕎麦やって、丼ものやって、嵐山は湯豆腐が有名やから湯豆腐やって、っていう感じの。それこそおもいっきり観光地商売よな。このままじゃあかんやろってことでリニューアルした。これ、ダッチがどう仕事に活きてきてるかってことに繋がってくるんやけど。

I:今はうどん専門店になってるもんね。お店をリニューアルしたことはダッチからの影響があったってこと?

T:そうやね。そもそもダッチをどういうスタンスでやってたか、ってとこなんやけど。おれが1回生後半の時に、EO-CENCEっていうチームができたんよね。
チームのメンバーを見てみると、アクロバットができる子、フレイバー満点の動きをするやつ、ステージ映えする華をもった子、縄がうまい子、、、そんなメンツが揃ってる中で、おれなんもやることないなーって思ってしまって。
別にダンスが踊れるわけでもなく、アクロが飛び抜けてるわけでもなく。ステップは身体重たいし、足の運びは遅いし。って考えたら、自然な流れでチームをプロデュースする側に回ってて。どうやったら勝てるのかってことずっと考えてた。

I:勝つためのプロデュースを。

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“自分なりに原因を考えてみたら、クオリティが低い部分ももちろんあったけど、それより何よりただただ「Delight JAPANに出場すること」を目標にしてしまってたから。そこに尽きたかなと。”

T:うん。1回生の時に見にいったJAPAN(Double Dutch Delight)で、ステージに立ってたdutの先輩を見て、「かっこええなーおれもこのステージに絶対立ってやる」と。だから、どうやったら勝てるかなって考えた時に、自分はなんもできひんからプロデュース側にまわって。コンセプトづくりがうまくいったのか、2回生の時に、うまいことJAPANに出れたんよ。
でもJAPANでノーミス出してもHoliday Classicには行けへんかったよね。自分なりに原因を考えてみたら、クオリティが低い部分ももちろんあったけど、それより何よりただただ「Delight JAPANに出場すること」を目標にしてしまってたから。そこに尽きたかなと。
そこから3回生になって。ケントの事故のこともあったのでDelightには出ない選択をした。(※EO-CENCEが3回生時の2010年、サークル活動における練習中、部員に不慮の事故が発生。dutとしてサークル活動を自粛していた。)そりゃあ一番頑張ってるんケントやし、ダッチは自粛すべきやろって当時思ってた。間違った決断はしてないと思う。
でも、4回生になったときに、やっぱり出なあかんなと思って。

Holiday Classicに対する曖昧な気持ちに、チームとしての深いミッションが加わった

I:自分のために?

T:自分のために、それとケントを励ますためってこともあったね。ケントの中でもずっとかっこいい先輩でいたかったし。
自分のためって部分でいうと、もう一回JAPANのステージに立ってHoliday Classicに出たい。そういう思いで、チームに話を持っていったらチームのみんなも納得してくれて。
2回生でJAPANに出た時のようなあやふやな部分、Holiday Classicに対する曖昧な気持ちに、チームとしての深いミッションが加わったのも、その時からやね。

I:チームとしてのミッション。

T:そう、ケントを励ましたいっていう気持ち。そっからじゃあどういうデモを作っていくかを考えて。「3回生で一番勢いにのってた時のデモをベースに、ブラッシュアップして破壊力満点のものを作ろう」というコンセプトでデモを作った。時代にフィットするように新しいネタも作ったし、チームのみんなのメンタル、ベクトルをちょっとずつやけど擦り合わせていった結果、なんとかJAPANでは1位をとってHoliday Classicに行けた。

I:そうだったね。

T:深い部分に何がリンクしててて、何が自分を形作ったのかを考えたときに、それが嵐山やってんな
その時経験した、まず目標があってどうやったら到達できるかっていう考え方や、建設的に働きかけていくやり方が体に染み付いていたのかな。
自分のアイデンティティはダブルダッチやけど、大学を卒業して、もっと深い部分に何がリンクしててて、何が自分を形作ったのかを考えたときに、それが嵐山やってんな。で、まあよく若者にありがちな、有名になりたいとか、お金稼ぎたいとか、事業を興して社長になりたいとか、そういったモヤモヤした気持ちも自分の中にもともとあって。じゃあ嵐山で親父がやってる店を継いでやってみようかと。

I:内から湧いてくる気持ちと、嵐山がそこで初めてリンクしたんだ。

T:そう、繋がった。5つ離れた兄貴がいるんやけど、兄貴が別の仕事をしてて店を継ぐ気はないし、おれが継がないと「新渡月」は無くなってしまう、っていう責任感もあったと思う。
じゃあ「嵐山で飲食店するのがおれのミッションや」と思って店に入ってみたんやけど、店に入ってみると、入りたてのおれが「これやばいんちゃうの?」って思うくらい、なあなあな部分もたくさんあって、変えていかないとなと。当時は目標自体もあやふややったかな。ただ、このままじゃあかんと。

I:お店の向かう方向があやふやと?

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“何かに特化してやっていかないと生き残っていけへんのちゃうかなと。そりゃあ確かにダブルダッチでも、ステップうまいやつ、縄うまいやつ、各々がキャラを持ってチームの一つの要員としてうまいこと歯車を回していくから。”

T:そう。それが働き始めて1年目の時かな。2年目には、パッと目標が決まったんよ。そのきっかけになったのが、「何でも屋さん」じゃあかんねやってわかった事で。例えばこの近所に鯛めし屋専門店があったり、蕎麦屋さんは蕎麦屋専門店でやってるし、豆腐は豆腐専門店でやってるし。
何かに特化してやっていかないと生き残っていけへんのちゃうかなと。そりゃあ確かにダブルダッチでも、ステップうまいやつ、縄うまいやつ、各々がキャラを持ってチームの一つの要員としてうまいこと歯車を回していくから。

I:なるほど。あとは、どこに特化するか。

T:蕎麦屋さんは周りに多いけど、製麺してるうどん屋さんは周りにまだ少ないから、親父と相談して「ほなうどん屋でやっていこう」と。
その時トップで働いていたのがばあちゃんやって。ばあちゃんは昔気質の人で、最初はおれの言うことに聞く耳を持ってくれへんかってんけど、2~3年かけて分かってもらえたかな。

I:うどんの専門店にすることに対して?

T:そう。自分が今までやってきたことをペーペーのおれに全部否定されるわけやから、そりゃあ快くはないと思うけど、なんとかわかってもらうことができて改装するにいたってん。
改装する前、ご飯食べて帰らはるお客さんの顔がどうもパッとせえへんかって。うまいんか、まずいんか分からへんような顔して帰らはるし、これじゃ面白くないなって思って。
嵐山という観光地で商売する本質はなんやろなって自分なりに考えたときに「笑顔で帰ってもらうこと」やと思ってんな。綺麗な景色があって、楽しい旅行で、でもメシがまずかったら台無しにしてしまうわなって。

I:観光の一部分だと。

ダッチでそういう経験をしたから、点と点が線になって、スムーズに考えていけた。

T:そうそう。「新渡月」が嵐山の楽しい思い出の一部分になったらおれとしては本望やな。それが自分の中のミッションであって、理念。ここで店をやるなら笑顔で帰ってもらいたい。嵐山っていうのは世界中から観光客が来てくれるし、日の丸背負ってやるくらいの気持ちでやらなあかんと。そう思ったのが、ダッチでいうと「ケントを励ましたい」「かっこいい先輩でいたい」そういう部分と全く一緒やったかな。

I:なるほど。

T:ダッチやってたときは「昔やってたデモをベースに作ろう」とかってコンセプトを作っていくわけやけど。じゃあ仕事に置き換えたときに、どんなコンセプトでいくか。うどん専門店でいこう、とか、小さいお子さんにも食べてもらうわけやから無添加無化調の体に優しい有機野菜を使ったうどんを作ろう、とかが積み重なってそれがコンセプトに。
よそとも被らない創作うどんを作ろうと。目指すところはダッチの場合なら大会で優勝する、ってことやったけど、飲食でいったらお店を繁盛させること。フィールドは違うけれど根本的な考え方は一緒だなって思って。ダッチでそういう経験をしたから、点と点が線になって、スムーズに考えていけた。

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“嵐山って競争率が高いねんけど、商売人としてはまだまだペーペーやし。そんな自分が嵐山で商売できてんのが、ダッチのおかげかなっていうのはすごい思う。”

I:これはダッチでいうところのあれだなって感じで。

T:そう。新メニュー決めるときに、これダッチでいうたら縄技的な立ち位置やな、とか。

I:ははは(笑)。

一番食べて欲しいメインはこれやけど、そこに持っていくための前座的な感じやな、でもいい味出さないとなって。

I:うんうん(笑)。

T:いま嵐山って競争率が高いねんけど、商売人としてはまだまだペーペーやし。そんな自分が嵐山で商売できてんのが、ダッチのおかげかなっていうのはすごい思う。

(第3回に続く)

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