「叱る」と「脅す」
こんにちは。
先日、父が僕の息子のレッスンに来てくれて、終わったあとコーヒーを飲みながら指導についての話になりました。
きっかけは楽譜と音が一致しない生徒についての相談から始まったのですが、そこから空間認知能力、身体と脳の繋がりの話になり、「怒鳴りつける指導者」の話題になりました。「人間は怒鳴られると身体が緊張・委縮して筋肉が固まるから、そんな事をしてから良い演奏が出来る訳がない。すぐ怒鳴りつける指導者はそれを理解していないから勉強が足りないんだ」という内容。
実際、以前サッカーの指導者資格を取るために講習会を受講した際、学科の時間で「ヨーロッパでは怒鳴りつける指導者は引き出しが少なくてダメな指導者として見られる」と聞かされていましたし、僕自身、怒鳴る事が大嫌いなので、レッスンでは一度も声を張り上げた事はありません。僕がこれまでに師事した先生も、コントラバスの実技に関しては一人も声を荒げる方はいらっしゃいませんでした。
ただ、高校吹奏楽部の先生だけは例外。アロハシャツを着てタバコを吸いながら合奏の指示をするような方でしたし、合奏では怒鳴り声のオンパレード。これが良いか悪いかで言ったら絶対にダメなのですが、この吹奏楽部はヤンキーのような部員が多く、普通に優しくやってたらまとめられなかったのではないかとも感じたりします。なので、ヨーロッパの優秀な指導者たちならどうやって当時の僕らを指導しただろうなあと想像するのも面白いですね。
私自身はとても醒めた学生だったので、先生が怒り始めると「は~また始まったわ」と思ってましたし、一度先生と二人になった時に「先生も大変ですね、ああやって怒鳴らなきゃいけなくて」と言ったら「お前、他のやつらに絶対それ言うなよ。雰囲気作りも必要なんだからな」と返された事があります。今思えば「そんな雰囲気要らんわ!」というところですが 笑
昭和の学校教育、部活指導は「人間を育てる」ではなく「軍隊を作る」要素が大きいと思います。そしてそれを経験してしまった人間は、自分がやられた事をそのままやろうとするので、日本人の指導が変わるのはなかなか難しいだろうな、と考えています。
以前、息子のサッカースクールを探すためいくつか見学に行ったときも、試合で罵声を浴びせる、負けたらスパイクのまま罰走など時代錯誤な指導をしているところがあって、「こんなところにはとても子供を預けられない」と感じたものです。
彼らは「本気で向き合えば子供には伝わる」とか「結果が出れば報われる」みたいな言葉を盾にして、いつまでも同じような事を続けます。自分の頭で考えられない、判断出来ない日本人が多いのはこうした指導を続けてきた学校教育の結果なんです。昭和の時代、こうした無茶苦茶な指導を受けて育ってきた僕らが、同じ事を繰り返すのではなく過ちに気づき、正していく事がとても大切だと思います。これが正義だと信じている指導者が多いので、変えていくのはとても難しい事だとは思いますが。
さて、怒鳴るのはダメだ、と言うと叱る事自体がいけない事のように捉える人が多いのですが、叱る=怒鳴るではありません。
例えば野球のイチロー選手が高校生を指導している映像がありますが、イチロー選手は穏やかな口調ながら厳しい事を伝えている事があります。ああして伝えなければならない事を理論的にきちんと伝える事を「叱る、諭す」と呼びます。対して、怒鳴って子供の頭を真っ白にしてしまうのは「叱る」ではありません。それは「脅す」です。
事実、僕自身「練習が足りないな」と思った生徒には厳しく諭す事があります。でも絶対に大声を張り上げたりはしません。相手が理解しているか見極めながらしっかり話をするように心がけています。
怒鳴る指導って結果が出やすくて指導者にとっては楽なんですね。「生徒の為に俺は大声を出すんだ、あいつらは分かっている」とか言って努力工夫しなくなって、それがどんどん生徒の自主性を奪っていく。「お前らもっと自分で考えろよ!」ともっともらしく怒鳴りつけてむしろ思考停止させてしまう。指導者自身が思考停止ロボットを生み出していることに気付かない。大声を出した時点で子供たちに自主性なんて生まれないんです。
少なくとも私は「叱る」と「脅す」の違いをしっかり理解した上で、子供たちと一緒に学び、正しい方向にあげられるよう、これからも努力精進したいと思います。