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「犠牲」という言葉の重みを教えてくれたラグビー日本代表

 日本で開催されているラグビーワールドカップ、連日日本代表の快進撃に夢中でした。

 昨晩、南アフリカとの準々決勝に敗れ、日本のワールドカップは終わりましたが、彼らが見せてくれたジャパンの魂は確実に多くの日本人の心を捉えたと思います。

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 僕がラグビーに興味を持ったのは小学校のとき。ラグビー部がある珍しい小学校でもありましたが、その後友人が関東大学ラグビーで活躍していた事もあって興味を持って観ていました。特に夢中になったのは平尾誠二率いる神戸製鋼7連覇の時代。あの頃は大学ラグビーもよく見ていました。
 当時は平尾人気もあってそれなりにラグビーが盛り上がっていて、今のW杯で会場に足を運んでいる僕ら中高年世代はこの時代にラグビーを好きになった人も多いのではないでしょうか。

 ただ、あの頃の僕は「ワールドカップで日本代表が勝つ」なんて微塵も考えていなくて、「ワールドカップは世界との差を痛感させられる為の大会」と思っていました。正直、前回大会で南アフリカを破った時も、凄い事だとは感じましたが、それでもまだ「日本が決勝トーナメントに進出する」なんて信じられなかった、これが昔からのファンの本音だと思います。

 でも、前回大会が終わったあといろいろなドキュメンタリーを見てきて、選手たちが朝5時からのウェイトトレーニングを含め1日3回(早朝5時、午前10時、午後3時)という過酷な練習をしていた事を知りました。
 「エディさんの練習がとにかくキツかった」「人間、ここまで追い詰められるのかと思った」と選手が洩らしていたのを聞いて、「日本が世界を相手に勝つにはそこまでのハードなトレーニングをしなければならないんだ」と考えさせられたので、今回の代表選手たちが「エディさんの時よりも厳しい練習を積んできた」と聞いて、今大会で日本がどのような結果を残すのか、期待と不安が混じった複雑な気持ちで観ていました。

 開催国とあってかなり日本に有利な日程が組まれていたこと、そしてサッカーW杯の日韓共催の際に感じたホームという地の利もあるので、僕の予想は3勝1敗で2位通過という無難なもの。いや、アイルランドとスコットランドのどちらかを破るという予想は、僕にしたら大きな賭けでもありました。

 結果から言えば、日本は僕の予想を大きく裏切って4戦全勝で決勝トーナメントに進みました。スコットランド戦の最後20分は、スコットランドのなりふり構わない姿勢にティア1のプライドを見ましたし、応援しながらずっと鳥肌が立っていました。
 しかしそれでも、僕は決勝トーナメントで日本が勝つ姿を想像出来ませんでした。相手が前回大会で破った南アフリカといっても、日本をナメてかかり、主力を温存していた前回の彼らとは違い、本気で向かってくるティア1に勝てる図が全く浮かばなかったのです。

 サッカーのワールドカップでも、日本代表は日韓共催となった2002年に初めて決勝トーナメントに進出した訳ですが、あの時はグループリーグでの盛り上がりがどこへ行ったのか、というくらい決勝トーナメント1回戦のトルコ戦ではあっさり敗れていたので、今回も「目標はベスト8」を公言していたラグビー日本代表がどこかで燃え尽きているのではないか、という気持ちもありました。

 予想通り、と言っては失礼かもしれませんが、準々決勝での南アフリカは強かった。前半3-5で折り返した時には「もしかしたらアイルランド戦のような逆転もあるかも」と少し期待をしてしまいましたが、後半の南アフリカの強さには手も足も出ない、これがティア1だと思わざるを得ない、そんな凄みを感じました。

 日本代表選手があれだけ「キツイ」と評した練習を積んできても、ワールドカップが始まってからの精神的重圧や肉体疲労が重なった結果、決勝トーナメントでは厳しい戦いを強いられるという事が分かった訳です。次にベスト4を目指す今後の代表は、どれだけの努力をしなければならないのか想像もつきません。

 今回、多くの代表選手が「これだけの勝利を手にする為に、どれだけの犠牲を払ってきたか」というコメントを残しています。きっとその「犠牲」には自分の時間だけでなく、家族や友人との時間を削ってきた事も含まれている事でしょう。「何かを成し遂げるために何かを犠牲にしなければならない」事の大切さを、この言葉は現わしているように感じます。
 この後医者を目指してラグビーから引退する福岡選手は「僕は効率を重視して生きてきました。勉強も短い時間で集中する。ラグビーの練習もそうでした。でも、ラグビーのおかげで「効率だけではやっていけない世界」を知ることができたと思います」という言葉を残しています。
 これ、音楽にもそのまま当てはまりますね。僕も若い頃は「短時間で効率良く弾けるようになる手段」をずっと探していましたが、年齢を重ねる毎に「馬鹿みたいに集中して一つの事をコツコツ積み重ねる事の大切さ」を感じています。
 僕はドイツに留学していた期間がこれに当てはまります。楽器の練習をして、演奏会を聴きに行って、音楽の事だけを考えていた時期でした。あの頃は先生の厳しいレッスンに追い込まれて、効率がどうのなんて考えている余裕もありませんでした。でも、この経験が今でも自分の演奏活動の礎になっています。

 近年、文部科学省が部活動の指導ガイドラインにより部活動の時間短縮を打ち出したことで、吹奏楽部の練習時間も大幅に減りました。吹奏楽コンクールで名を馳せた有名な顧問の先生からすると歓迎出来ない決定のようですが、部活動に思い入れがなく、貴重なプライベートの時間を奪われてきた先生方にとってはありがたい話でしょう。僕はどちらかというと無断に長い練習時間を減らす事は思考停止から解放する事に繋がるし時間短縮に賛成派ではあるのですが、その一方で、こうした決定が「何かを犠牲にして得る経験」を子供たちから奪っている事も間違いありません。
 そもそもコンクールで金賞を取る事を目標とする事自体が如何なものか、という話にもなりかねないのでこの辺にしておきますが、今回のワールドカップは改めて「犠牲」の言葉の意味を深く考えさせられるきっかけになったと考えています。

 話をラグビーに戻すと、僕の家族はこれまで全くラグビーに興味を持っていませんでしたが、今回は1試合毎に応援が熱を帯びていきました。完全なる「にわかファン」。このワールドカップではそんな「ラグビーのにわかファン」が急増したと話題になっていましたが、これまでサッカーを見てきても分かるように、熱しやすく冷めやすいのが日本人の国民性。ラグビー部出身の友人も「どうせ来年の今頃には誰もラグビーなんか見てない」と自虐的な発言をしていました。ラグビー界にとってはこの時期が最も大切なので、ここでトップリーグを盛り上げていく事が最優先でしょう。ここで失敗するとなでしこジャパンのように、一時的な熱狂で終わってしまうと思われます。

 それから、ラグビーとサッカーを比較するなんて意味の無い投稿も多かったですね。「倒れてもすぐ起き上がり、痛がる素振りも見せないラグビーに対してサッカーはすぐ転がるし痛い演技をして非紳士的だ」みたいな風潮ですが、そもそもスポーツの文化が違ううえ、ハードコンタクトが許容されるラグビーと、基本的に足元でボールを扱いフィジカルコンタクトに制限のあるサッカーを比べること自体がナンセンス極まりないと思いますね。僕はどちらもそれぞれ楽しく観戦する事が出来ているので幸せです。
 ただ、サッカー指導者としては、「すぐに痛がるのは弱者」という教育をしていますし、チームプレーやフェアプレーという意識においてはラグビーの世界を見習うべき部分は多いと考えているので、お互いが良いところを取り入れて切磋琢磨すれば良いのでは?と感じます。

 さて、昨晩で日本代表の挑戦は終わりましたが、ここからはいちラグビーファンとして、純粋にラグビーを楽しみたいと思っています。

 

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