今の時代の子どものまとめ方

学校は集団生活をする場であるとはよく言われます。確かにその通りで、学校では、みんなと協力して何かをすることが多いです。そのため、考え方が似ている人が多い方がまとまりやすいというのも事実です。つまり、みんなが同じである方が、集団としてはまとまりやすいと言えます。

とはいえ、今は価値観が多様になってきたため、みんな同じというわけにはいきません。運動会などの行事で互いにぶつかって、熱い思いをぶつけてというのはすでに古い価値観だと言えるでしょう。

今までの子どもをまとめるといった時には、その前提にあるのは、「みんな同じ」ということではないでしょうか。みんな同じ小学校、同じ学年、同じ釜の飯を食う仲間なのだから、運動会を頑張ろう。クラスのためになることをしよう。

でも、ここの部分、子どもたちは本当に同じと感じているのでしょうか。同じクラスになったのは偶然です。仲の良い子もいれば、いまいちそりの合わない子もいます。本当にそういう子と無理に仲良くなる必要はあるのでしょうか。

子どもたちにはよく「たまたま、同じクラスになった人の集まりです。仲の良い人もいれば、どうしてもコイツとは馬が合わないなという人もいます。その人とは無理に仲良くする必要はありません。いつも、一緒にいなさいというわけではありません。でも、目的を持って集まった時に協力するということはできるはず。そういう意味で我々は同じ目的のもとで集まった仲間なのです。だから、みんなで何かをする時には、いったん自分の感情を脇におきましょう。

ここでの目的は様々あります。学級目標であったり、学習に関することであったり・・・

「みんな同じ」を前提にするとどうしてもいつも一緒という感じがします。どこか子どもたちのプライベートにまで踏み込んでしまっている感じが否めません。何人かの子どもたちはそこに息苦しさを感じるのではないでしょうか。おそらく一個人が先にあるのではなく、つながりが先にあるようにみえるために、なんとなく自分を大切にされている感じがしないのでしょう。

一方「みんな違う」ということの前提には、一個人がつながりよりも先に存在します。これから、どんな関係を築いていくのかは個人の自由にゆだねられます。(とは言っても、先生は子ども同士をつなぐ仕事はしていかないといけません。)今の子どもたちは、みんな同じでいいね!よりも、あなたもいいね!わたしもいいね!という世界の方が生きていきやすいと思っているのではないでしょうか。つまり、個人尊重の前提に立ったうえで集団としてつながっていくようにしていく考え方と言えるでしょう。

もしかしたら、この考え方は自尊感情の高い子にしか当てはまらないのかもしれません。自尊感情の低い子はどうしても一個人としてはいられないからです。(だからこそ、極端につながりを求めて、息苦しさを感じ、そのストレスが攻撃に回るのではないでしょうか。)

この考え方が今の学校で通用すると信じて・・・・

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