姥捨介護キリングホーム🏠❽

一年前の今頃は、まだオフィスや公共の図書館、スーパーマーケットのフロアをワックスがけしていた頃だ。掃き掃除から始まるそれはコバエの死骸や蜘蛛の巣などが沢山あった。利用者の居室を掃除しながらこの1年間を振り返る。介護福祉士の資格を取るには3年の実務経験が必要だ。とりあえずあと2年続けて、その先はまた後で考えればいいと思っている。もうすぐ40にもなろうという男がいつまでも続けるのにはあまりにも安い。

庭を手入れする時期にもなってきた。ガーデニングは趣味でもある中里の仕事だ。俺は虫が嫌いだから、絶対に振って欲しくない仕事だ。花壇の除草をし、花々の種を撒く。結構な広さだ。通常業務もあるから1週間がかりだった。

利用者の居室には無駄に服が多い。昔元気だった頃の洋服をずっと残してあるからだ。さっさと処分すべきだが、これも本人達にとっては思い出の品。許可なく処分する事ができない上に、親族にも「処分してよろしいですか?」などとはなかなか聞けないからだ。置物などがある部屋はもっと面倒で、どうしても埃がかかるものだから掃除がとても面倒になる。そして書物。今更理解できない物ばかりだろう。にも関わらず、増える本といえば難解なクロスワードパズルなどだ。親がボケてないと信じたい子の気持ちの何と愚かな事か…。単なる苦行にしかならない。経験上、一番易しいのは間違い探しや、番号のついてる点と点を結んで絵にするタイプの物だ。ぬりえはもっと認知が進んだ人だろう。

「死にたい。殺して」がすっかり口癖になった杉田泰子79歳。気持ちは分かる。こんな所にぶち込まれ、時折孫が差し入れを持って来るも楽しみはそれくらい。テレビも観なければ本も読まず、部屋で天井を眺める事が多い。窓も自殺防止のために開かないようにされている。典型的な鬱だ。薬も効かない。ある日、各居室を映し出すカメラを見ていると、杉田の部屋に主任の大島が訪室していた。クローゼットの服やストールなどを取り出して会話している。杉田の気を明るくするためにオシャレでもさせてあげようというのか…。

帰り際に大島に挨拶したついでに、杉田の事を聞いてみた。「ナースコールも頻回になってきてるし、もう少し落ち着いてくれればねぇ。暖かくなれば私が外出に付き合ってあげてもいいんだけど、そんな事したところであの鬱が治るわけではないしねぇ」と俺の顔を見ずにそう答えた。

翌日の朝、杉田が朝食を食べずに居室に戻り、昼食にも食堂には来ず理由を聞くと「部屋でお菓子を食べ過ぎたから今日はいいわ」との事。食欲に波のある利用者だったから別に不思議に思わなかった。3時におやつと水分補給をさせるため居室にそれを持って行ったのは60過ぎの職員だった。すぐに戻ってきた手には手付かずのお菓子とミルクティーがおぼんに残ったまま。俺に耳元で「杉田さん首吊ってるんだけど」

現場を一番しっかりしてる利用者に見ててもらい、杉田の居室に向かった。こういう時は施設長やケアマネにまず報告しなければならないのは知ってはいたが、つい数時間前会話した杉田が首を吊っている事がにわかに信じられず、まずは自分の目で確認したくなった。クローゼットに打ち込んである金属製の突っ張り棒にストールを巻きつけそれに首を吊り腰が微妙に浮く形で倒れ込んでいた。もう体が冷たい。しばらく経っている。年に2、3人は利用者が亡くなる事は覚悟していたが、こんな形もあろうとは1年ここにいて思いもよらなかった。一年で4人亡くなっている。多い…。すぐに救急車と警察が来た。「自殺ですね」簡単だった。状況だけ見れば簡単だ。事実としてまず自殺だろう。それは俺も疑いようがない。ただ、あの日カメラで観た大島がストールを持っていた事が気になって仕方なかった。

あの日、自殺教唆していた可能性もある。大島は皆から慕われ頼られ尊敬される介護主任だ。万が一にも自殺教唆などあり得ないし、俺ごときが口にもできない。牧野にも相談はできない。大島が誰もいない事務所から出てきた。家族にもきっと連絡済みだろう。顔は少し青かった。事務所で利用者の家族からの頂き物のクッキーを食べながら考える。このままここに籍を置いていいものなのだろうか…。他の施設でもこんな事が立て続けに起こるものなのだろうか…。起こっていても表に出ないだけなのではないのだろうか…。1年経ってもまだまだ無知な事が俺には多い。悩んだ…。クッキーのゴミをゴミ箱に捨てる時、ビリビリに破られた手紙を見つけた。細かくはなっていたが、気になる文字があった。「楽に」だ。「楽」の前にどんな漢字が繋がっていても「に」に繋がるような言葉は少ない。ならばこれは「楽にして下さい」でもおかしくないからだ。

大島の青い顔と杉田の青い顔が重なり気持ち悪い。牧野に慰めてもらおうとも思ったが、余計な事を喋ってしまいそうでその日はチェーン店の居酒屋のカウンターで酒を飲む事にした。

入り口のすぐそこには生簀(いけす)がありこれから人間に食べられる魚が青い顔して泳いでいるが、カウンター横には水槽で金魚が泳いでいた。死にたくても長寿な金魚を見ていると施設の利用者と重なった。

安楽死は認められない。例えそれが必要悪だとしても今の日本では認められない。数年前なら神奈川の障害者施設での大量殺人。あれだって税金を貪る障害者達を殺し、何人かの親族はまだ騒いでいるが内心ホッとしてるのも多いだろう。だがそれだって当然認められない。必要悪などあってはならないというのが今の世の中なら、自分が施設を利用する身になる頃には少しは変わってくれてる事に期待する…。

大島がしたかもしれないそれは、誰が罰するのだろうか。罰せられるべきなのだろうか?黙殺するべきなのだろうか…。それでも生活がかかってる俺には分からないとしか言えなかった…。

☆フィクションです。

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