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【自然の郷ものがたり#4】暮らしも自然も、守り続けるために。ロングトレイルで、地域の進む道を拓く【聞き書き】

屈斜路湖の北西部を藻琴山から美幌峠を通り、津別峠まで結ぶロングトレイルの構想。実現に向けて中心的な役割を担うのが、美幌観光物産協会・事務局長の信太真人さんです。

もともとトレイル自体にはあまり興味がなかったという信太さん。それでも構想を実現させようと奔走するのは、町の人々が自然豊かな地域に誇りを持つこと、そしてここでの暮らしを未来に繋ぐことを、願っているから。そんな信太さんに、活動に対する思いと展望をお聞きしました。

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信太 真人(しだ まこと)
1974年、広島県出身。幼少期に家族で美幌町に移住し、2003年から美幌観光物産協会で勤務。現在は事務局長として、観光に関わる事務全般を担当。美幌町を中心とするロングトレイル構想に携わり、企画や調整における牽引役を担う。

※この記事はドット道東が制作、環境省で発行する書籍「#自然の郷ものがたり」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。

国立公園とともに発展した美幌町

 資料に残ってますけど、昭和9年に国立公園になったとき、美幌の町中が歓喜に沸いたんですよ。当時の方々にとって誇りだったんでしょう、「国の公園になった」と。その誇りを大切にしていたし、美幌峠への来訪者が急増したので、ここを拠点としていろんな商売もやられたみたい。だから、観光協会をつくらなきゃいけないっていうのが始まりで。オホーツク管内で美幌の観光協会は、最古の歴史があるんです。

38年前か。引っ越してきて初めて美幌に来たときの景色を、今でも覚えています。汽車で美幌駅に降り立ったら、今の阿寒湖畔の町並みのような感じだったんですよ。「阿寒国立公園へようこそ」みたいなアーチがあって。実際の国立公園エリアは、美幌の町中から約25キロ離れたところなんですけど、町中にはたくさんの宿と、バス会社、土産物屋といった、国立公園を拠り所とする商売をやられてました。阿寒国立公園っていうのは美幌町みんなの飯の種でしたから、私も引っ越してきたときから、国立公園への意識ってのは大いにありました。

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美幌の観光客数のピークは、昭和30年代から40年代。映画のロケとクッシー騒ぎがあって、年間130万人くらい人が来てた。峠の絶景と、話題性があったんですよね。今は50万人、60万人の世界なんだけど、そういう一大観光地でした。

そして時代とともに、国立公園っていう意識がだんだん消えていったんです。もう駅前のアーチもないですし、土産物屋さんも宿もほとんどなくなりましたから。美幌町民の気持ちが、なんとなく国立公園から離れていく。そういう寂しい変化をね、なんとかしたいなっていうのはありますよ。

「縁の下系」から牽引役へ

 藻琴山から美幌峠を通って、津別峠まで繋げる「屈斜路カルデラ外輪山トレイル」の構想は、以前から存在していて。それを形にしようと、津別町と大空町、美幌町の3つの町から成る観光協議会で協議して、足かけ4年になります。

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僕ね、長い距離を歩くこととか、特別好きでも嫌いでもなかった。トレイルの構想を何とか調整しようと、事務担当として仕事に取り組むのが先で。でも構想が始まった頃、いろいろなワークショップで関係者や地元の有志の方々が集まっても、みんな尻込みしてました。誰が管理するかが不安だとか、事故がおきたら誰が責任を取るんだとか、維持管理のお金を出さんといけないだとかを、探ってるんです。本当にやるってところまでいってない。

そのなかで、「信太さんがやるんだったらやります」とか「信太がやれ!」みたいなことを口々に言われるんです。やっぱり牽引役がいないとだめだなっていうのを、2年目あたりで気づきました。それに、トレイルができた後のことを想像すると、うまく観光の資源にすれば、国立公園の魅力がものすごく伝わる。「これはやらんといけない」っていう気持ちが芽生えましたね。まだまだ課題は多いんですけど、みんなでおそるおそる周りを見るんじゃなくて、引っ張る人がいないんなら自分が引っ張っていく役目にもならないとだめだな、と感じているところです。

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僕がトレイルに興味を持ったのは、陸上自衛隊美幌駐屯地のOBの方たちが、トレイル調査を力強く引っ張ってくれたから。一緒に薮の中を漕いでくれて。僕はついてっただけなんですけどね。

というのも、自衛隊で教官をしてた方に、トレイルの構想を話したんですよ。そしたら「行こう行こう」って。それでもう8キロぐらい行くんです、藪漕ぎを。こっちは息が上がってハアハア言いながらついて行ってるのに、その人はウキウキして何かしゃべりながらね。しゃべれないでしょ、こっちは(笑)。それに、来たのはいいけど、帰れないんですよ。もう、心折れてますから。それでも、ずんずん引っ張ってくれる。「ここは絶対、道にしましょう」って、僕なんかより何倍も熱い情熱を持って。

自衛隊の方々以外にもね、そういう仲間たちがたくさんいるんですよ。「トレイルができるよ」って言ったら、眼キラキラさせて「俺も連れてってくれ」って人がいる。そういう土壌があるのは、ものすごいアドバンテージです。頼もしいですよ。

そうやっていろんな人と関わりながら、「みんなで知恵を出し合っていけば、もしかしたらトレイルが実現するかもしれない」と思えるようになりました。協議会の方々もみんな熱心ですが、残念ながらすぐに異動となってしまう。今のところ、このトレイル計画に最も長く関わっているのが僕なんです。僕がやってうまくいくんであれば、頑張るしかないなっていうことです。僕は「縁の下系」ですから、あんまりそういう牽引役のキャラじゃないですけど。それでも、やらんといけないですよ。

ふるさとみんなが、認めるものを

観光はね、考えようによっては、単発の新しい企画を数打つ繰り返しでもいいんですよ。ネタが続けば。だけど僕は、一本の確固たる、ふるさとみんなが「これなら我々も楽しめる、未来に繋げていける」と認めるもの、何十年もずっと残るものをひとつつくりたいっていうのがずっとありまして。そのひとつがトレイルなのかなって信じて取り組んでいます。

新しいものをどんどんやるのも、話題性というか、サブでは大事だと思いますよ。だけど、流行り物は長続きしないんですよ。魅力的な大自然を「売る」ために人間があちこち踏み入って荒らすのもダメですけど、その前に地域が疲弊して過疎になって、人がいなくなったら、もったいないじゃないですか。

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ここに住んでる人たちが愛着を持って、長いこと住んでいくためには、ここで稼ぐっていうことが必要なんじゃないかなと。この仕事をやりながら、だんだんと感じてきましたよ。最初の頃は、仕事だからってやってましたけど。

時代からして、かつてこの辺をバスが何便も周遊してた頃には、まず戻らないと思うんですよ。人口も少なくなってきてるしね。じゃあどうするかってときに、綺麗な景色を「綺麗だ」で終わって次行こう、ってなるよりも、その土地を「体験」してもらう。立ち止まって見てみる。そこで遊ぶ。何か食べてもらうとかでもいいんですけどね。トレイルができたら、歩いて楽しむ、歩きながら眺める。あるいはキャンプするとか、走るとか。それらをお客さんに体験してもらうことで、経済活動や人の交流に繋がっていきます。そうしたら絶対、町民が国立公園にもっと目を向けてくれると思うんですよ。

地域が一体になって、トレイルを拓く

 花を見て散策するのも国立公園ですけど、そこにもうひとつ、環境に負荷のかからないようなものを提供できれば、地域経済の活性化になると思ってます。ひとつは人。ガイドです。残念ながら今の美幌には、ガイドがまだいない。文化や歴史、自然に関心を持つお客さんは多いですから、いろんな引き出しを持っているガイドを育成するのが、美幌におけるいちばんの課題でしょうね。そういう人がいれば、お客さんはガイドにお金を払って、安心してトレイルを一緒に歩けますから。

だから 4年前、美幌町と商工会議所、観光物産協会、森林組合や金融関係の人たちで、観光まちづくり協議会がつくられたんです。人を雇って観光で稼ぐ、稼いで自走していく。そういう目標の組織ができました。これから何年、何十年かかると思いますが、ガイドを目指す方の思いが芽吹いていって、将来そういう人が活躍できる場であってほしいですね。

そうやって体験を提供できる状態になるまで、ずっと発信していくことが必要です。ガイドだけでご飯食べるのって難しいですから。これだけの景観で、世界にまれに見る外輪山を歩くルートを、どうやってPRするのか。インバウンドも今後復活すれば、欧米とかから絶対に目が向きますから。そこに至るためにガイドを育成していくのが、課題ですよね。

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このトレイルは全長約22キロですから、手頃ですよ。距離が短すぎてロングトレイルじゃないとか言われるかもしれないですけど、やっぱり景色を見て楽しんでいただく外輪山は、特別なルートです。将来は、摩周・屈斜路トレイルや北根室ランチウェイと接続すること、さらに女満別空港・中標津空港・釧路空港が結ばれて「ロングトレイル」になることが目標。トレイルは今後、日本でもっとなじんでくると思いますよ。特に北海道って、ぴったりの自然豊かな土地、広い土地もありますから。

だからこそ、多くの人に知ってもらいたいと思ってます。そのためにはやっぱり、観光協会と3つの町の推進役となっている我々が、トレイルを理解してもらえるように、トレイル体験だとか、フォーラムだとか、意見交換会を、エンドレスで企画していくことですよね。


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すでに「トレイルができたよ」だとか「こないだ環境省の方がトレイルを歩いてくれたよ」って広まって、早く歩きたがってる人たちがいっぱいいますから。トレッキング・ハイキングとか、登山を愛好している人は相当いますね。だから一般の人により広く普及させるためにも、僕らが活動を止めないのも大事なことのひとつでしょう。

トレイルは今、調査道はすでに完成しています。整備して正式にオープンする目処としているのは、2022年です。でも、そこで終わりじゃなくて、持続させることを先に考えておかないとね。維持管理とか並大抵のことじゃないけど、やっぱり運営母体がしっかり地に足つけてないと。持続ですよ。行政も含めて、きちっとした組織が、自然を傷めないで管理していく。そういうことを僕らが引き受けて、お客さんに楽しんでもらえる土地にしたいですよね。

取材・執筆:吉田 貫太郎
撮影:吉田 貫太郎、さのかずや



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