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#自然の郷ものがたり

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阿寒摩周国立公園に住む方々の声を集録したフリーペーパー「#自然の郷ものがたり」の記事を公開しています。
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#道東

【自然の郷ものがたり#19】カメラマン松葉末吉の世界【写真企画】

昭和初期の川湯温泉で活動していたアマチュアカメラマン、松葉末吉。2005年に町内で発見された松葉の写真は、地域の歴史を物語る資料としても、芸術性においても、近年、再評価の声が高まっています。松葉はバス運転手の傍ら、日常の小さな幸福の瞬間にシャッターを切り続けてきました。未舗装の阿寒横断道路を走るボンネットバス。屈斜路湖畔で戯れる着物姿の観光客。硫黄山を背景に微笑む家族—。それらは単なる懐古を超え、揺るぎなく続く人間の営みを私たちに伝えてくれます。 高い技術を持ちながらも戦後

【自然の郷ものがたり#16】世代をこえて。灯し続ける、未来の明かり【聞き書き】

阿寒湖温泉の西側に位置し、民芸品などを扱う土産物店や飲食店が軒を連ねて並ぶ「幸運の森商店街」。2018年から商店街の役員のバトンが、親世代から子世代へと渡されました。 2021年には、商店街独自の取り組みとして「幸運の森Tシャツ展」、「バキ原画展」、「阿寒の森 間伐材アート展」などを企画し、新たな世代がつくる商店街の動きが加速しています。今回は、同世代の4人の店主に集まってもらい、切磋琢磨しながら一緒に次の手を打ち続けていく理由、それぞれの関係性について、思いを語っていただ

【自然の郷ものがたり#13】受け継がれる「一歩園精神」、阿寒「復元の森」づくりへの挑戦【聞き書き】

阿寒にはかつて、この美しい自然を愛し、人々の幸せな暮らしを願った1人の女性がいました。 「阿寒のハポ(アイヌ語で母) 」とも呼ばれた前田光子さんは、義父である前田正名さん、そして夫の前田正次さんの遺志を継ぎ「阿寒の自然を後世に残し続ける」という悲願を叶えるため、前田一歩園の財団化に尽力しました。その影には前田家の思いを具現化してきた人々の努力がありました。 阿寒湖を取り囲む3600haもの森林を「人の手が入る前の原生林」の状態に戻す「復元の森づくり」もその1つ。今回は前田

【自然の郷ものがたり#12】アイヌ文化は共有財産 伝統を守りつなぎ新たな表現へ【聞き書き】

道東を代表する観光地のひとつ、阿寒湖温泉。雄阿寒岳と雌阿寒岳に囲まれ、特別天然記念物マリモの群生地、そしてアイヌ文化が色濃く感じられる地として、訪れる人々を魅了し続けています。 阿寒湖アイヌコタンは、前田一歩園財団の3代目園主・前田光子氏がアイヌの暮らしを守るため、土地を無償で提供したことから始まり、全道各地から集まったアイヌが独特に文化を進化させてきました。そこで生まれ育ち、伝統を踏まえながらクリエイターとして常に新しい表現を模索してきた秋辺デボさんに、<触れ合う・つくる

【自然の郷ものがたり#11】親から子へと受け継がれた、 自由な意志と確かな地域愛【聞き書き】

屈斜路湖畔に佇む、可愛らしい三角屋根が特徴的な「SOMOKUYA」。ここは小樽市出身の土田祐也さんと埼玉県出身の春恵さんご夫婦が経営していているアウトドアガイドと雑貨販売のお店です。 二人がこの町にやってきたのは、今から約20年前のことでした。ガイドとして独立した祐也さんの仕事を春恵さんが手伝うことになり、それをきっかけに結婚。2009年に「SOMOKUYA」を立ち上げ、今では高校2年生になる渉介さんと、中学3年生の英恵さんの家族4人で暮らしています。 移住者として弟子屈

『自然の郷ものがたり〜阿寒摩周国立公園の暮らし〜』第二弾を制作しました

みなさん、こんにちは!ドット道東です。 ドット道東は、前年度に引き続き環境省からの委託を受け、阿寒摩周国立公園周辺地域のブランド意識向上を目的としたプロジェクト「自然の郷ものがたり〜阿寒摩周国立公園の暮らしプロジェクト〜」をおこなっています。 世代・業種を問わずあらゆるレイヤーの方から「国立公園の近くで住むことの豊かさ」について取材・集録した1冊は、地域内外の方から反響をいただき、2021年度に第二弾を発行するに至り、第二弾の制作も弊社で行うことになりました。 第一弾同

【自然の郷ものがたり#10】自然と共生する阿寒湖アイヌコタン。伝統を楽しむ、アイヌの案内人【聞き書き】

世界から高い評価を受けている阿寒湖アイヌコタンの木彫り作品。「風と光を彫った彫刻家」として知られる瀧口政満を父に持つ瀧口健吾さんは、自身も木彫り作家として、アイヌの精神を受け継いでいます。 亡き父より「イチンゲの店」を引き継ぎ、伝統を大切にしながらも、アイヌ文化の案内人として新しい取り組みをはじめたお話をお聞きしました。 ※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「#自然の郷ものがたり」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。 カムイノミとの出合

【自然の郷ものがたり#8】「足寄なんて……」を乗り越えて 地元の人にこそ知ってもらいたい地域の魅力 【聞き書き】

足寄町には官民という別々の立場を経験した上で、町の未来に向き合っている方たちがいます。足寄町役場を辞めて会社を立ち上げた佐野健士さんと、地域おこし協力隊からカフェ店長に転身した細矢千佳さんです。 お二人は地元住民が地域の魅力を考える「オンネトーの魅力創造委員会」で知り合って意気投合。行政と民間という両方の経験を踏まえ、毎日さまざまな人と接しながら足寄の魅力を探し続けています。 写真右 佐野健士(さの・けんじ)/1978年、北海道幕別町札内生まれ。東京国際大学を卒業後、足寄

【自然の郷ものがたり#7】自然の中にあるストーリーを大事にしたい。屈斜路湖に望む「静かな観光」【聞き書き】

日本最大のカルデラ湖である屈斜路湖。その湖畔にある屈斜路コタンで生まれ育った磯里博巳さんは、アイヌの木彫り作家として伝統を受け継ぎつつ、自然からインスピレーションを得た斬新な作品づくりで、地域の魅力を伝えています。 かつて松浦武四郎にコタンを案内した先祖のこと、雄大な自然に学び遊んだ少年時代、屈斜路湖から見た観光の変遷と未来に望む姿。この地に暮らし続けてきたからこその思いをお聞きしました。 磯里 博巳(いそり ひろみ) 1960年、弟子屈町屈斜路湖畔にあるコタン生まれ。ア

【自然の郷ものがたり#6】地域と環境省が手を携えるまちづくり。阿寒摩周国立公園が目指す未来【イベントレポート】

阿寒摩周国立公園における満喫プロジェクトを振り返り、新たな出発点にするために。本誌『自然の郷ものがたり』プロジェクトの一環として、2021年2月8日に特別鼎談イベントが実施されました。 登壇者は、弟子屈町長・徳永哲雄さん、NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構理事長・大西雅之さん、環境省阿寒摩周国立公園管理事務所・笹渕紘平所長の3名。鼎談から浮かび上がったのは、環境省と地元住民が対等なパートナーとして地域づくりを担う未来でした。 ▽プロフィール(左から) 徳永哲雄(とくな

【自然の郷ものがたり#5】人と人を繋ぎ、「故郷」をつくる。井戸端会議から始まるまちづくり【座談会】

阿寒湖には、まちづくりを女性の観点から考える集まりがあります。結成以来、20年近く活動を続けている「まりも倶楽部」です。自分たちが地域のことを学び、地域住民と観光客の両方に阿寒湖の魅力を伝える活動をしています。 今回は、まりも倶楽部が結成された当初から活動してきた4人のメンバーに集まってもらいました。阿寒の外から移り住んできたメンバーも多いなか、まりも倶楽部が地域の魅力を見つけて発信する原動力を聞いてみましょう。 まりも倶楽部 まちづくりを女性の観点から考える有志の集まり

【自然の郷ものがたり#4】暮らしも自然も、守り続けるために。ロングトレイルで、地域の進む道を拓く【聞き書き】

屈斜路湖の北西部を藻琴山から美幌峠を通り、津別峠まで結ぶロングトレイルの構想。実現に向けて中心的な役割を担うのが、美幌観光物産協会・事務局長の信太真人さんです。 もともとトレイル自体にはあまり興味がなかったという信太さん。それでも構想を実現させようと奔走するのは、町の人々が自然豊かな地域に誇りを持つこと、そしてここでの暮らしを未来に繋ぐことを、願っているから。そんな信太さんに、活動に対する思いと展望をお聞きしました。 信太 真人(しだ まこと) 1974年、広島県出身。幼

【自然の郷ものがたり#3】阿寒摩周国立公園で考える 持続可能な観光と環境【座談会】

雌阿寒岳や雄阿寒岳、阿寒湖などがある阿寒地域と、摩周湖や屈斜路湖を有する摩周地域からなる阿寒摩周国立公園。2つのエリアは阿寒横断道路で繋がっていますが、それぞれの地域で活動するプレイヤーが地域全体の未来をともに考える機会は、これまであまりありませんでした。 そこで本企画では、阿寒地域と摩周地域で働く若い世代の方々が、地域の未来について語り合う座談会を実施。その模様をお届けします。 ▼プロフィール(左から) 藤原 仁(ふじわら じん) 1972年生まれ、神奈川県出身。アウト

【自然の郷ものがたり#2】始まりは、一枚の絵だった。 「森の中にある温泉街」ができるまで【聞き書き】

阿寒摩周国立公園の満喫プロジェクトにおいて、川湯温泉で掲げられたコンセプトは「森の中にある温泉街」。 実はこのアイデアは、川湯観光ホテルの中嶋康雄さんが描いた「絵」から生まれたものでした。 イメージを多くの人と共有できるように、中嶋さんが1枚の絵に落とし込んだ川湯の未来図から物語が始まり、現実のものとなろうとしています。 中嶋さんが引き受けてきた責務と、川湯を盛り上げるために最前線で奔走し続ける原動力についてお聞きしました。 中嶋 康雄(なかじま やすお) 1967年、弟