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170/366 【言の葉の窓】 ところ変われば訳変わる1:resilience(レジリエンス)

IT業界とSDG業界では、resilient (レジリエント)と言う言葉が頻繁に登場する。一般的には「弾力性」という意味で使われることが多いのだが、その「しなやかさ」の部分が拡張解釈され、今は企業や文脈で様々な訳分けがされている。

IT業界でも、初めは「弾力性」と訳されていたが、クラウドの浸透度合いに伴い、最近は「回復力」と言う訳の方が多くなってきた。当初は、例えばどこかのノードでトラブルがあっても別ノードが対応できるという各論的な「柔軟性」が着目されて選ばれた訳語だったのが、今は、システム全体が速やかに「復旧される」という総論的な表現に視点が移ったからだと思う。視座が広くなったのだ。

医学業界で使われていた方の意味が採択されるようになったのだ。

心理学分野でも、困難な状況に対してうまく適応する過程・能力・結果のことを レジリエンス(resilience)というそうなので、医学業界の通訳者、翻訳者にとってはより納得できる訳語に遷移したと言える。

問題は環境系の人々で、こちらはまだコンセンサスが得られていないようだ。

SDG関連の通訳を務める際、以前は「強靭」と訳出ししていたのだが、昨年くらいからカタカナの方が多くなってきたように感じる。

「柔軟な適応力」に力点をおくべき文脈なのだが、「強靭」と漢字で書くと「柔軟」のニュアンスが薄まって見える。この言葉だと、含めたい概念の核はあるが、周辺が落ちてしまうから、カタカナ表記に変わってきたのかも知れない。痒いところに手が届かない感覚が残ったのだ。

どの文脈でも「しなやかに対応し、回復していく」というプロセスまでも含まれる言葉なのだ。それを一言で表現しにくいため、誤解を避けるためにカタカナ表記になるのだが、ここでいつも悩む。

レジリエント(またはレジリエンス)、と言うカタカナ言葉、いったいどこまで日本人の中で市民権を得ているのだろう。

思いの全てを一言で表現しきれないから、とカタカナのままにすることはよくあるし、それでうまくいくこともある。だが下手をすると、意味がよくわからないままで放置され、曖昧に使うようになった結果、根本的な誤解が残ったままで話が進むこともある。

この言葉の対訳はこれ、と丸暗記してしまう方が楽だ。一瞬で訳さねばならない同時通訳の場合、個々の言葉で引っかかって大局を見失うより、発話されたメッセージをきちんと伝える方が優先されるべきなのも確かだ。その為には定訳を出来る限り多く覚えるしかない。

でも時折立ち止まって考えたいのだ。定訳だからと思考停止してはいないか、と。

「いいじゃん、それで満足して貰えているんだから」

それも分かっている。分かっているけれど、それだけじゃない気がするのだ。大切な言葉を預かっているのだから。

最近、妙に青臭い自分と対峙することが増えた。議論のための議論をしていることの無いように、自己満足に終わってはいないようにしたい。

だってほれ、ポストコロナの社会にはレジリエンスが求められるみたいだから。

明日も良い日に。




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