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【ジャパニーズパンクとは】 文楽 「義経千本桜」

文楽と言えば「曽根崎心中」とか「女殺油地獄」といった心中物を連想する人が多いけれど、私は文楽を、ジパングパンクであると声を大にして伝えたい。

時代物の作品の中には、ワーグナーもびっくりの長尺ど迫力のザ・スペクタクル系があるのである。

だが、ワーグナー同様、全てをやると一日がかり。よって一部抜粋の公演が多くなる。

さて、5月の国立劇場での公演は、偶々なのか、狙っているのかは分からないが、「義経千本桜」。

これがまた...

一大スペクタクル系ウルトラ無理筋パンクオペラ

なのである。

まず、「義経」「千本桜」というタイトルなのに、主人公は義経じゃない。桜は出てくるけれど、それが絡むのは登場人物の1人であるお狐様であって、義経ではない。これを設定におけるパンク魂と言わずになんという。

そんな物語の大筋は...

源平の戦いの後、義経は後白河法皇から「初音の鼓」を拝領する。

その後、義経は平知盛、維盛、教経の三者の偽首を鎌倉に送るが、それらが偽首だったこと、後白河法皇から貢物を受け取ったこと等で、鎌倉殿への謀反の疑いありとされる。

そんな中、鎌倉殿から送られてきた使者を、あろうことか武蔵坊弁慶が殺してしまい、頼朝との関係悪化にとどめをさす。オーマイガ。

結局義経は鼓を持ったまま奥州目指して落ちのびていく。

その道中、義経は様々な人間と出会っていくが、彼らがことごとく真の姿を隠している平家の方々並びに関係者なのである。

平家の落武者伝説をうまーく使って奇想天外物語が展開される。

しかもそれらのあちこちで色恋沙汰が絡み、この恋が家族の悲劇を生んでいく。おお、これぞまさしくシェークスピアワールド。

道中のお寿司屋さんで働いている平維盛が、そこの娘と許嫁になっていたり(その後身分が判明して、身分違いの恋の逆転が発生したり)、その噂を聞きつけた梶原景時が攻め込んできたりするドタバタ展開の段もあるが、これらのシーンは今回はカット。

今回かけられたのは、義経が入手した「初音の鼓」にまつわる狐さんの物語のみ。

初音の鼓は、桓武天皇の時代、雨乞いのため、1000年生きた神通力を持つつがいの夫婦狐の皮で作られた。その子狐(400歳)は、両親恋しとその鼓から離れられず、義経から鼓を形見分けされた静御前の周りに止まる。

その後、その狐は鎌倉方の追手に襲われた静を「佐藤忠信」に化けて助けるが、ちょうど戻ってきた義経によって、静を助けた褒美に「源九郎義経」という姓名をいただく事となる。

ん?同じ名前を頂く?ってのもパンクなのだが、更にすごいのは、

「九郎義経」は、「九郎ギツネ」とも読める

のだ。劇作家の竹田出雲の発想力が凄すぎる。

静に同道して義経を追う旅に出るお狐さんだが、最後には労を労われ、鼓を下賜される。

喜んだお狐は、義経の奥州へ至る道中を神通力で守ることを約束し、その加護のおかげを持って、義経は奥州まで無事逃れていく...

と繋がっていくのだが、本公演ラストには、神通力による加護を約束したお狐さまが、吉野の山を飛ぶように駆けていく。

ここで、お狐様が本当に飛ぶのだ!

宙乗りするのだ!

文楽で宙乗りとは、即ちお人形と人形遣いが一緒にフライングするのだ!

そのフライングした1匹(と1人)の足元の屋根やら桜の木々やらがどんどん小さくなっていくのだ!

日本の伝統芸能で、縦方向に大道具が展開していくのを、私は初めて見た。高く高く飛んでいく狐の眼下で、どんどん遠ざかっていく法眼屋敷と桜に覆われた吉野の里。

重心をどっしりとさせたまま、宙乗り状態で狐に息吹を注ぎ込み続ける人形遣いの桐竹勘十郎さん。

今見ても感動するのに、1747年の初演時にはどれだけ客席が沸いただろう。私が当時の江戸町民だったら、おしっこちびったに違いない。

他にも種々の早変わりあり、三味線と太夫が合計12人登場する(いつもの太夫席に人がギッチギチに座ってて壮観)段もあり、と、ジス・イズ・スペクタクルジャパンな2時間半だった。

伝統芸能って敷居が高い〜なんて思ってる方。ぜひ騙されたと思ってスペクタクル歴史系演目を狙って、ジパングパンクな時間を過ごして頂きたい。

他のジャパニーズ・伝統パンク演目はこちら。

他にもあると、文楽の師匠が仰っていた。それらが掛かるのが楽しみだ。


明日も良い日に。







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