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38/365 【生恥こそ、生きてる実感の醍醐味だ】 大人計画 「キレイ - 神様と待ち合わせした女 -」

2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

その点、感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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生き恥こそ、生きてる実感の醍醐味だ

日本に3つの部族がいて、民族紛争がずっと続いている世界。終わらない戦争を終わらせない為、繁殖能力のない「大豆兵」が大量生産されている。彼ら大豆兵は、人間の隊長の元で命掛けで戦い、死んだら死んだで大豆加工品となって食卓に上る。人間に食べて貰える喜びを胸に、皆戦地に赴いていく。

人間の死体と大豆兵の残骸を選別し、大豆兵を加工工場へ運んで日銭を稼ぐ人々もいる。

その社会には、色んな人がいる。めくらも知恵遅れも、バカも娼婦も孤児も、ケガレという名の少女も。息子が怪我の影響で突然ゲイになっても、皆、いともあっさり受け入れる。誰もお互いを否定せず、そのまま丸っと受け止める。みんな自然に共存し、助け合って生きている。それはそれ、これはこれ、と折につけて折り合いをつけながら。

呼びかける言葉に悪意はない。悪意があれば、それは発した言葉が美しくとも悪意だ。行き過ぎた言葉狩りとはそういうことだ。チビクロサンボ議論を思い出さずにいられない。

それはお金に対する姿勢や、親切と偽善の取り扱いにも似ている。

貰う金額が500円だろうが3000円だろうが、全く態度が変わらないケガレ。「本当にさもしい人は、額で態度が変わる」という一言もどこ吹く風だ。だってお金はごはん。私は食べたもので出来ている。だから、私はお金で出来ている。お金とは、私を生きること。だから、お金はキレイ。

それでも生きていると色々ある。地上の世界に出てきた瞬間、人はケガレ始めてしまう。それらをがっちり認識した上で、

けがれ、けがれて、私はキレイ

と歌い上げるケガレは、本当にキレイだった。

「どうも、偽善者やってます」と堂々と名乗り、さらには「この親切は私のものなの!私の親切の邪魔をしないで!」と叫ぶ、大豆兵製造会社令嬢のカスミちゃんもなんてキレイなんだろう。

全体の世界観は破天荒なのに、あっちこっちでハッとするセリフを差し込まれるから、見ているこちらも気が抜けない。でも、いちいち考えている間なんてないし、セリフを言った方も言われた方も、妙に重みをつけることなく、スイスイと筋はどんどん進んでいく。

その中でふと思った。

もしかしたら松尾スズキは、日常でふと思ったことを書き溜めて書き溜めて、それらを繋いでこの脚本を書いたのではないか、と。ABBA縛りでできた「マンマ・ミーア!」的な手法で生まれた作品なのかも知れないと。

そんなことを妄想してたら、阿部サダヲさま演じるマジシャンに怒られた。

私たちに、思うなんて下品な感情は必要ない!

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令和2年2月2日、大阪フェスティバルホールでの大千秋楽。東京公演のチケットは全く取れなかったが、大阪で見られてよかった。

それにしても笑えるのが、昨年と今年とに分けて行われている劇団☆新感線の「偽義経」の昨年版で橋本じゅんさんが演じた役を、今年は三宅マンが演じている。そしてじゅんさんは、この演目で大豆丸を演じていた。新感線と大人計画で2人をバーターしたのかな?!



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