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The King and I (王様と私)

「あれほど偉大たりえた王はいなかった。しかも彼は努力したのよ。力の限り」

周辺の友好国や同盟国が次々と欧州の植民地化していく中、シャムの王は苦悩する。近代化は進めなければならない。貿易も必要。島国でもない国が、どことも外交をしないなど不可能だ。だが、全てを妥協することもありえない。だとしたら、守るべき線はどこだ。どこまでは受け入れて、どこまでは自国の伝統や文化を守るべきなのか。

しかも、彼は王なのだ。立憲君主制であれば相談相手もいただろうに、彼は、全てを自分で決め、全ての責任を負わねばならないのだ。

きっと、少年の頃に即位したのだろう。その少年は一生懸命、努力した。プライドも捨てなかった。少年王を諌められるような大人はいなかったものだから、少年らしい良いところと悪いところがそっくりそのまま残ったままで、彼は大人になった。

そんな中で、西洋人で(!)女性で(!!)しかも口答えする(!!!)「科学的な思考をもつ先生」なんて、宇宙人以外の何物でも無かったのだろうなあ。でも、彼女の聡明さも、正しさも、本当はちゃんと認めている。

忙しくくるくる変わる表情が映像だとはっきり見えて楽しかった。こんなに喜怒哀楽をはっきり見せる王様、そうそういないんじゃないかしら。全てに嘘がない人だったんだ。

その少年のままの素直さも、苦悩も、明晰さも、勇気も、全てを受け止めて、献身的に彼を支えるマダム・ティアンがとても素敵だった。情が深すぎて、恋敵となる以前のアンナ先生と王様の橋渡しまでしてしまうなんて、心広すぎ。その後、2人が心の奥深いところで繋がってしまうことすら見越していながら、顎を上げて、愛する人にとっての最善を選ぶ。

1幕でアンナ先生が歌う元旦那さんへの愛の歌の途中で、マダム・ティアンが、自分のこの思慕は「愛」と呼ぶのだ、と悟るところがとても好き。それ以降も、彼女は影でいつも王様を見守っている。

大奥に徹する彼女はいつも影の極やら舞台奥やらにいて、舞台だと表情がなかなか見えない(きっとこういう顔をしている、と想像はしているけれど)のだが、映像だとそういうところがはっきり見える。静かに静かに、彼女はいつも、愛情溢れる眼差しで、時には背中で、王様の行く末を見守っていた。

余談だけれど、今回の映像作品でのマダム・ティアン役のRuthie Ann Miles、NY公演の人で、7月のロンドン公演時は違う方がやっていた。途中から復活したのか、限定公演をされたのか、どちらかは分からないけれど、私はRuthieちゃんのマダムが大好きだ。彼女が観られて、とても嬉しい。

アンナ先生の歌声は言わずもがな。メロディの美しさも言わずもがな。空撮みたいなショットとか、舞台袖ギリギリのあんな人やこんな人の表情とか、王様の肩越しのマダム・ティアンの表情とか(ごめんしつこい)、映像だから見えたものも沢山あって、感慨がまた劇場に戻った。

今月末、3日間、日比谷と大阪での上映です。ちぇきら〜


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