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53/365 【眼福にもほどがある】 劇団☆新感線「偽義経冥界歌」

2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

その点、感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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背負った死人の数が、人の器を決めるんだ

舞台は、頼朝による武家政権確立直前の奥州。鞍馬寺から出奔し、奥州藤原氏に匿われていた義経のその後や源平の戦い、義経の末路といった史実を背景としながら、歴史活劇イノウエンタテインメントが展開していく。

実際、中尊寺金色堂には藤原氏4代の木乃伊(ミイラ)が眠っていることや、奥州が金の産地であったこと等のキーワードを用いながら、アベンジャーズのようなヒーロースペクタクルにしちゃう中島かずき脚本がさいのこう。いやマジで。

他とは争わず、関わらず、ただ自国の民を守る

奥州は、朝廷を筆頭とする大和民族とは違う蝦夷(えみし)の国。その誇りを保ち、中立を守っていれば良かったのに、日の本全てを手に入れたいという怨讐をくすぶらせたまま、非業の死を遂げた奥州領主の秀衡。その彼が黄泉返るや、執念の熾火は、すぐさま炎となって燃え上がる。しかもすでに死んでいるから、生者の手では倒せない。

死んでる人間が、生きてる人間に関わっちゃいけない

生田斗真演じる領主の嫡男、玄久郎は言う。公家、平家、源氏、奥州藤原氏(作中では奥華氏)の間で、時に義経の影武者を、時には妾腹の兄を、更には奥州の若侍をも演じ分けながら、最後は全てを弟である泰衡に託して現世を去る。その去りざまの、なんと美しいこと。強さと優しさの全てを背負って、一陣の風のように舞台奥へと去る姿に、思わずおお、と声が漏れる。

俺は中身が空っぽだから、色んな人の合わせ鏡になれるんだ

空っぽだから、周りの音がよく響く。マイナスだと言われ続けていたことを全てプラスに転じた瞬間、玄久郎は誰よりも強くなる。

結局、正邪の区別をつけるのは、生者の世界だけなのだ。

昨年の公演とは演者も違う(弁慶役が橋本じゅんさんから三宅弘城へ)し、1幕と2幕の切り替わりも違う(昨年は死者の蘇りを1幕で出していた)し、藤原さくらちゃん演じる静歌の、ご先祖様全員集合を乞う歌が追加されていたりと、あれこれ進化していた。

斗真くんの殺陣も、1幕は前よりゆっくりになっていた。スローモーションも入れて、不自然感を出さない工夫もされていた。これで蘇った後の場面まで体力温存できるのだろう。その結果、2幕の殺陣の疾走感がより際立って見えた。昨年は後半、心配になるくらい肩で息をしていたし、今回は期間的に長丁場なので、体力温存できるよう演出的な配慮をしたのだろう。

早乙女友貴くんの殺陣は相変わらずのキレっぷり。太一くんの殺陣が、舞うようなの太刀筋だとしたら、友貴くんの殺陣は、。漢色が強いのだ。太一くんは、目にも留まらぬ華やかさ、友貴くんは、不動の剛毅さ。どちらも至宝には違いないけれど、兄弟で違うのが面白い。

りょうさんの美しい巫女長(みこおさ)っぷりも、いい塩梅に力の抜けた山内圭哉さんの常陸坊海尊っぷりもツボすぎて、3時間半があっという間に過ぎた。

レーザー光線のような照明も素晴らしかった。2階席前方ど真ん中だったからか、光線の描く線がどこまでもパリッと見えた。光の動きも客席全体を巻き込むような強さがあった。緻密な照明プランに感動。ACTシアター、やるなあ。金沢ではここまで緻密じゃなかった気がする。

劇団⭐︎新感線のいのうえ歌舞伎、やっぱり大好きを再確認した一日だった。ああ幸せ。

昨年の金沢公演の際のNoteはこちら。なんかもっさりした文章だ... すごく疲れていたのだな、この時。



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