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216/366 【ゾゾゾゾ】 劇団イキウメ 「太陽」 2016

愛してやまない劇団の1つに、劇団イキウメがあります。

正統派SF(藤子F不二雄先生の「S(すこし)F(不思議)」の方のSFね!)の作風が魅力で、幕が下りて暫くは呆然と座席に張り付いて動けなくなるのがお約束。いやもうほんとに凄いんだ。

ですが、今年6月に上演予定だった新作は延期に。今私がエネルギー切れなのは、これも1つの要因に違いない。

次はいつ前川さんの作品を拝見できるのだろう... なんて思っていたらば!なんとびっくり!

その新作が現在進行形の作品として公開されていました!

こちらでも「観客」がお芝居を成立させる要素として触れてあります!

それと同時に2016年に再演された「太陽」もフルバージョンで公開!何この太っ腹っぷり!!!!

話の筋は覚えていたのに、改めて見てみると今の状況との共時性が異様に高く、震えが止まらなくなりました。

まずびっくりなのが、フィジカルディスタンスが取られていること!ウィルス感染のお話だから、感染者と非感染者が接触しないような動きになっていますし、接触する場合は舞台上で役者がマスクをしているのです。

え?なにこの先見性????この段階で鳥肌もの。

コロナという病気が脅威であることは紛れも無い事実。でも、自粛警察みたいなものが出たとき、病原体はコロナなのか、それとも人間の方なのか、分からなくなることがあるのです。

あれ?人間の方が何だか妙にバグってない?ウィルスどうこう以前に?その辺りもパラレルワールド感がすごい。しかも、

メディアは本当のことを隠すものだ。

この辺りでさらにサブイボ増量です。

ちょっとだけ粗筋。

ある病気が蔓延した未来の世界。

開発されたワクチンを投与された結果、バンパイヤと化してしまった「ノックス」は太陽の下での生活を捨てる代わりに永遠の命と明晰な頭脳を得る。よって生活水準はとても高い。

対して元のままの人間「キュリオ」は文明から切り離されて暮らしており、ノックスの寄生虫のような扱いすら受ける。しかもノックスが持っている病原体に感染するとキュリオは死んでしまう。

でも実は、ノックスには生殖能力がない。それが故かは不明だが、創造性も無い。彼らは理性で常に動く。よって迷いもない。それが完全無欠な印象を与える。

キュリオは体も心も弱い。でもそれが想像力の源泉なんです。

どちらが良いかなんて一概には言えない。

キュリオとノックスの対立は、Black Lives Matter運動も彷彿とさせます。

繰り返しになりますが、2016年の作品です。それがこれだけ今と連動するってなんでしょう。人間の本質って全然変わらないのかな。

「君たちの文化に憧れているんだ」なんて無邪気な白人(ノックス)に言われても黒人(キュリオ)の方々には何も響かない。例えその白人の心底からの賛辞であっても、キュリオには、上から目線の世間知らずの発言にしか思えない。

学校がない地域に住むキュリオの子が、学校へ行きたい、知らないことを知りたい、だからノックスになりたい、学校が特別じゃないお前に何が分かる、と言い募るのも、それに怯みながらも、自分の出自そのものを否定するのは何かが歪んでいると思うノックスも、どちらの言い分も分かってしまう。

お前が弱いのはお前の責任だ。

数少ない生粋のノックスである森繁は、キュリオの鉄彦と取っ組み合いの喧嘩の末にこう言い放つ。

何が、誰が正しいのか。それが何層にも重なっていく。

少なくとも、太陽を失ってまでの永遠の命なんて要らないよなあ、と改めて思いました。

当時の感想を以下に張ります。4年前の観劇直後は、ウィルスに対しての感想が無かったのね。私には先見の明は無かったらしい。

「夜明け」と「子孫」を代償とした「進化」は、果たして真の進化なのか。深い夜闇の向こうには、いつか太陽の光があると信じているからこそ、泣き喚き、もがき、笑いながら、人間は先に進めるのではないか。自分の能力を一番卑下しているのは、実は相手ではなく、自分ではないのか。

悶々としたまま劇場を出たら、真夏の太陽のお出迎え。マチネで良かった。

映画版も好き。映画版の方が「差別」に重きを置いていた(はず)

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今見ることがとても特別な体験になる作品です。是非に。

明日も良い日に。

伴走26日目!





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