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【家族とは】 映画「CODA」

私のせいにしないで

子どもは無条件で親を愛してしまうものだ。度合いの差はあるし、その愛がどんな形で表出するかは人それぞれだけれど。

耳の聴こえない家族の中で唯一の健聴者であるルビーは、父親の漁を手伝いながら、一家の通訳も務める。両親は、そんなルビーに依存している。

そんな娘が高校最後の年に合唱クラブに入ったことを、母親は「反抗期」と揶揄する。「聴こえない自分に対する当て付けでしょう」と。

そんな風に言われたら、なんて言い返せばいいだろう。

歌が好きなことに、理由はない。ただただ好き。それがそのまま聞き入れてもらえない。理解してもらえない。

だって両親は歌を聞いたことがないのだから。ましてや、娘の歌声をや。

君には伝えたいことがあるのか

声には、その人の思いがのる

聴こえない人に届けようとする声に溢れるルビーの思い。

聴こえない人がコンサートにいった時の、静寂の世界。その空間には音が溢れているハズなのに、彼らの耳には聴こえてこない。

コトバが分からない生活がいきなり始まった時のことを思い出す。

周りには言葉の如き音が溢れているし、皆その音を使って意思疎通をしているのに、私には全てがノイズに聞こえる。そのうちに何も耳に入ってこなくなる。

母にとってのその期間は、私よりもずっと長かっただろう。

卑屈になるな。親のことで。

中盤からずっと泣いて笑って、心臓が大渋滞だった。

題名のCODAは楽譜のcodaの比喩かと思ったら、Children of Deaf Adultsの略だった。

音楽のcodaは、楽曲のメインの部分からは独立している最後の締めの部分。家族におけるルビーの心情を表している。でもcodaがあるからこそ、その楽曲は完成するのだ。

昼間に見て良かった。

明日も良い日に。


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