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【無関心の罪とは】 映画 「関心領域」

夫に頼んで、あんたなんか灰にしてやる

台詞数はそう多くない。ある家族の日常がひたすらに切り取られて流れていく。映像だけ見ていたら、それはどこの街にもいるだろう、中の上くらいの人々が紡ぐ日々の光景だ。子供達は遊び、学校へ行き、母親は自慢のお庭の手入れをしている。

だが、普通の日常と違うのは、音だ。背景でずっと聞こえ続ける不穏な音。叫び声、くぐもった怒声。銃声。夜になっても「荷」を燃やし続け、煙を吐き続ける炉は、隣人の顔を煌々と照らしだす。でもそれらの全てを、一家は、特に妻は無視し続ける。無関心であろうとする。

隣の音や灯りを異様に感じるのは、遠方から娘の「自慢の家」に遊びにきた年老いた母と、生まれたばかりの赤ん坊だけだ。赤ん坊はひっきりなしに泣き、母は耐えかねてある日いきなり姿を消す。理由を書いた置き書きの中身は明かされない。読むなり娘はその紙切れを暖炉に投げ入れてしまうからだ。

だが、どれだけ無関心を装おうとしても、隣の異様な状況に少しずつ精神は削がれていく。ヘスは妻と話していても無表情だし、妻はそれに気づかないふりをして笑い続けている。チグハグで、異様な夫婦の会話。

子どもたちは隣からきた歯で遊び、お兄ちゃんは弟を温室に閉じ込めてガス室ごっこをする。

途中、ネガポジ反転して映し出されていたポーランド人の少女は、収容所の作業場と思しき辺りにりんごを埋めていた。どうにかして、同胞を助けようとしてのことだ。だけれどそのりんごを巡って収容所内で喧嘩が起こり、結果、喧嘩した人たちは処刑される。それを聞きながら、ヘス家の少年は「もう2度としちゃダメだよ」とポツリと言う。彼は、漏れ聞こえてきた大人のセリフを、ただ真似しただけだ。それが痛い。

そして少女は、同じことを何度も繰り返す。彼女が見つかりませんように。浅い呼吸で願った。

終盤、淡々とガス室の計画を話した後、ヘスはふと、嘔吐する。何度も、何度も。どんなに平静を装っていても、ゆっくりゆっくりと精神的には追い詰められていた。それくらいの良心は人間には備わっている… などと祈りのような思いで画面を見つめていたら、ヘスと目が合った。

そこからのアウシュビッツの今の様子に鳥肌が立った。今この映画を見ている私や、アウシュビッツのガラスの向こうの展示品を前に、淡々と掃除をしている人の「関心領域」はどこにあるのか。

今、イスラエルで、ウクライナで、戦争、紛争が続いている。それらに対する我々の態度は、同じではないのか。過去のこと、ガラスの壁の向こうのことになっているのではないか。

見たくないものを見ず、視界に入りそうになったら見ないふりをすることにどんどん上手くなっていく私たち。関心を持たなくなってしまった時、歴史は繰り返してしまう。

三谷幸喜さんの舞台「国民の映画」の最後の台詞も思い出した。人間は忘れるという特権を持つことで救われ、その特権で過ちを繰り返す。そうならないように、と改めて心に楔を打った。

見られて良かった。きつかったけど。

明日も良い日に。


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