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48/365 【やはり暫くは腰を据えて静観します】 大河ドラマ「麒麟がくる」 第5回

2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

その点、感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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(戦で)人を切ると、いつもこれで良いかと悩むのです

剣術に長けてはいるし、攻め込まれたら徹底交戦する気概はあれど、本心は戦嫌い。そういう為人をさらに強化した回でした。

手持ちの鉄砲の数が周りの国に知れ渡れば、それだけで敵はおいそれとは攻め込んでこない。だからみな、出来る限りの数を仕入れようとしているのだ。

だが、こんな扱いにくい代物が本当に戦道具になるのか?鉄砲の価値を疑問視する十兵衛に、鉄砲所持の効能を伝える松永弾正。

鉄砲で戦が減るぞ

この一言で、十兵衛の心は動く。

ところで今回の大河での、女性の座り方が面白い。表舞台にいる間、主人の前ではぺたりと座らず、片膝を低く立てた低中腰を維持したままで控えているのだ。ささっと動きやすいからだろうけれど、当時の武家の子女はみなこの作法を仕込まれていたのかしら。さぞかしコア筋が鍛えられるだろう。

駒ちゃんはぺったり座りをしていることを考えると、戦国時代の武家の女性の習わしだったのかも知れない。何気ない立ち居振る舞いに身分の差は出るものだから、最近の時代考証の流行りなのだろうか。新たな挿絵のようなものが発見されたとか。

男女平等コンプラ問題、とも考えたのだが、足首を返す角度が男性より鈍角で、よって中腰度合いも高い。結果的に、男性よりキツそうな体勢になっている。

歳をとったら膝にきそうな体勢なのだが、最晩年の北政所さまでもこの座り方をしたのだろうか。武家の出じゃないから関係ないか。

いずれにしても、その遥か手前で光秀は死んでしまうから、そんな姿は描かれないわけだけれども。

写真は、幼なじみな腕白坊主だった頃の十兵衛、伊平次、伝吾オマージュ!(苦しい…)


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