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【常設展示とは】 おばあちゃんとのタイムトラベル

パウル・クレー展(もはや脳内変換はピカソ展では無くなっている)を堪能した後、久しぶりに、国立西洋美術館の常設展示に立ち寄った。

企画展は混み合うことが多いけれど、常設展示は、人も少なく、思い思いのペースで絵画と対話ができるから、好きだ。

何より、常設展示は、いつもそこで私を待っていてくれる。貸し出しや補修などが無ければ、出向けばいつでも会える。

田舎のおばあちゃんに会いに行く感覚と、似ている。相手が重ねてきた年月を感じながら、質問したり、確認をしたり、何がしか語らうことができる。

その日その日で私の体調やら感覚やらも違うから、問立ても、返ってくる答えのようなものも、毎回違う。おばあちゃんもそうだった。でも、どの会話も正解だし、どれもその時の真実。

今回の、私の語らい相手は、モネの「睡蓮」。

あまりにも有名な「睡蓮」連作の中の1枚だけれど、その中でもとても異色な一点。

画面の大半が、破損しているモネの「睡蓮」

戦前、西洋美術館の館主の松方氏が購入していたこの作品は、長い間、ロダン美術館に預けられており、その間に第二次世界大戦が勃発。

戦中、フランスの田舎に疎開した時に破損し、戦後も敵国人財産としてフランス政府に接収されていた松方コレクションの中の1点なのに、損傷状態のあまりの酷さから作品として扱われず、返還作品リストにも載せてもらえなかった子

2016年にルーブルで再発見され、2017年に帰国(?)を果たして今に至ります。

この子はどんな戦争を目撃したのだろう。

損傷から、当時の空気感が今も滲み出てくるような気がする。

私の祖母も戦争経験者で、晩年はなるべく戦争中の話を聞くように心掛けていた。その祖母はもういないけれど、この作品と対峙すると、少しだけ、祖母の生きた時代と繋がれる気がする。

常設展示の中に、傷のついていない綺麗な睡蓮(サイズは少し小さい)もあるので、そちらとの運命の違いも、同じ空間の中で感じられる。

美術館とは、時代と時代の間を自在に行き来するタイムトラベルの駅だ。旅先は皆それぞれに違う。プラットフォームも、無限に存在する。自分の身体だけで、水中を歩くように、異空間に飛んでいくことができる。

立ち寄れて、良かった。

常設展示室については、原田マハさんの小説も秀逸。


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