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210/366 【あまねく凡庸なる者のための聖人】 ナショナル・シアター・ライブ 「アマデウス」

goodness is nothing compared to the goodness of art
善良かどうかなど、至高の芸術に比べたら何の意味もない

どれだけ禁欲的な生活を送っていようが、献身的に神に仕えていようが、天賦の才を持つ者の前では何の意味もない。例えその天才が素行の悪いガキんちょだったとしても。

他の人には理解されず、過小評価されてしまう天才を見抜ける事自体が才能なのに、その耳と天性を自分との比較だけに使ってしまうサリエリの哀れさに共感してしまう。

皇帝のように「音符多すぎ〜」って宣う人に向け、誰にでも分かるシンプルなものを作る人生に満足出来たなら。周りの人々のように、アマデウスの重層で重厚な楽曲は小難しくて嫌い、ってなれたら、サリエリは幸せな生涯を送れたろうに。

せめてこの人自身が音楽家でなかったら、例えば教育者だったり芸術家のパトロンであったなら、みんな幸せだったのに。アマデウスを子犬みたいに可愛がるだけで終わったかも知れないのに。

嫉妬に駆られた彼の念は「神を許せない」という思いに転じる。そこからの神に対する復讐劇に胸が痛い。

神よ、あなたを許さない。あなたは至上の音楽を求めた。それを生み出す為にあなたが地上に送り賜うたアマデウスを、私が潰してやる。神の思う通りになぞさせるものか。

こうして彼は「凡庸なる者の聖人」となった。

凡人のための聖人って、なんて酷くて甘い言葉だろう。

彼にはレクイエムなんて要らない。なぜなら彼は永遠に人々の中に生きながらえるから。... あのレクイエムは私の葬送曲だ。

死人が自分のためにレクイエムを書いて残したなんて気づいたら、そりゃゾッとする。

ラスト10分、畳み掛けるように明かされる、冒頭シーンへのフィードバックループもドキワクだった。演出家、ピーター・シェーファー天才すぎる。

20世紀において、アンドリュー・ロイド・ウェバーのクラシカルロックミュージカルが衝撃だったように、16世紀の人にとって、モーツァルトのオペラはヘビメタくらいの衝撃だっただろう。

お衣装もさることながら、舞台上には、「ウィーンの宮廷オーケストラ」の生オケ。なんて豪華なんだろう。

映画版よりもアマデウスの幼さが際立っていた。クソガキではなく、アスペルガー症候群に特有な、純粋で空気を読めないままに突っ走ってしまう、永遠の少年のような人。ただただ自分が美しいと思うものを美しいと言い続けていただけの天才。

どうしようも無いクソガキだったら、まだサリエリも溜飲を下げられたのだろうか。

それなら、「音楽家として歴史に名を残せないなら、アマデウスを殺した人間として歴史に名を刻んでやる」なんて悲しい最期を選ばずに済んだのかも知れないなあ。

そんなところにグサグサ共感してしまうものの、彼の楽曲は今尚ちゃんと生き続けているわけですから、私と重ねちゃ失礼ってものなんです。

よって私は、自分の凡庸さにほぞを噛みながら、今宵もワインを飲むのです。

明日も良い日に。

追伸:コロナ渦で毎週新たなお芝居を無料配信していたNational Theatre Live at Home、これがフィナーレだったようです。多くの作品を本当にありがとうございました!

映画館が開館し始めて数週間たちましたが、今、ナショナルシアターライブの「夏の夜の夢」が都内の映画館でかかっています。これもNTL@Homeで拝見しました。すんごい新解釈でした!気になる方、ぜひビッグスクリーンで!



こちらは20日目!


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