9月19日

いっちょ噛むこともできんほど何も知らんので、特に何という言及でもないんですけど。
いわゆる推しになんかあったときってペットロスと似ていて、「犬じゃん」みたいなノリで「他人じゃん」と言ってくる人は必ずいて、それはもうそういう回路が最初からない人でしかないので、配慮を求めるだけ無駄なんですよね。無駄というか、相手も困るだろというか。
他人の転職だろうと犬の命だろうと、なんなら人命であってすらショックの受け方は人それぞれなわけで、寄り添えるほどの仲でなければもう、お大事に……と添えてそっとしとく以外にできることはないわけです。
実際、ある程度のgiveとtakeの連続性が濃密な関係を作っていくのだとしたら、「推し」みたいな存在を心に決めて消費したりその活動を生活の片隅に置いたりする行為って、ペットを愛玩したり観葉植物を育てたりするのに近い効果があるような気がしている。そう思うと、そこに人道的道徳的な問題が絡んでいると分かってもなお、求める人は止まないだろうなーとも思えるのだった。ペット業界がそうであるように。

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