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私とわたし

フェミニストの正確な定義を理解しているわけではないんだけれど、
少し前からなぜか、無意識な女性蔑視の表現による炎上みたいなニュースに対して、関心を持つようになった。
(SPA!のヤレる女子大ランキングの記事とか、グリコの「おしえてこぺ」というママの言葉を翻訳するという謎アプリのこととか)

#metoo が話題になったときは、正直そこまでピンときていなかったから、ここ最近の自分の価値観の変化によるものなのかもしれない。

私の家族は男性は父親だけという女系ファミリーで、なおかつ母親のほうが強く主張するタイプで、父は本当にすべての生き物に優しい性格だし、
私自身も小学生のときは木に登ったりするのも好きだったり、中学と高校は女子校だったから、重い荷物を持つのも何でも自分たちでやるしかなかったし、だからどちらかといえばたくましい女性コミュニティで育ったような気がする。当時はそんなこと考えたことなかったけれど。

だけど、大学生になって、王道なテニスサークルに入ってみたり、合コンに行ったりする中で、なんとなく、あ、女の子はちょっとできない風とか物を知らない風のほうがちやほやされやすいのかも?ということを私は学習していった。

当時はみんなと同じようにモテたかったし、ちやほやされるのは気分がよかったから、CanCamとJJとViViを足して3で割ったような格好をして、授業の合間に友達とエンドレスでお茶をして、それはそれでとても楽しかった。

だけどたまに、古着の迷彩ジャケットにデニムにスニーカーみたいな格好をしたり、渋谷のシネマライズとか恵比寿ガーデンシネマとかで一人でマニアックな映画を観たり、CanCamとJJとViViを読みつつ、広告批評という、当時のテレビCMやグラフィック広告のクリエイティブを紹介している雑誌を毎月欠かさずこっそり読んでた。

テニサーの自分と、迷彩ジャケット着て広告批評読んでる自分、どっちも自分なんだけれど、迷彩ジャケットの自分はテニサーな自分を観て、男に媚びてダサっ!って思ってたような気がするし、テニサーな自分は、迷彩ジャケットの自分を観て、そんなんじゃモテないから、って見下してる、
みたいなことが、心の中で起きていたような気がする。
コンサバになりきれなくて、サブカルにもなりきれなくて、どっちのコミュニティーに行ってもなんだか浮いちゃって、なんなんだ私は、みたいな感じだった。

社会に出てからも、女性誌の編集部は女性が多いし強いので、そんなことを感じているヒマも隙もなかったけれど、
26歳〜29歳までいた広告代理店時代は、男性社会をすごく感じていたかな。
特に私は最初派遣社員で入ったから、可愛い格好してお茶出してニコニコ座っててくれたら十分だよ、みたいな扱いをされることも結構あって、
当時編集者になりきれなかった挫折ですっかり自信をなくしてた私は、
あ、私はこういう方が向いてるのかも?みんな優しいし、色々ごちそうしてくれるし、ちやほやしてくれて、お金もらえて。そんな人生もいいのかな、みたいに感じていた。

クライアントのおじさんの横に座らせられたり、お酌をしたり、社内メールで突然ごはんに誘われたり、なんかそういうのも、嫌々、というよりは、まぁそんなもんか、コンパで鍛えた浅い会話術がこんなところで役立つなんて、くらいに思っていた。
女だからっていう理由で、ラッキーな想いもたくさんさせてもらってたと思う。

だけど、本当は本当は本当は、無意識レベルでどこか悔しかったんだと思う。
なりたいなりたくないとかじゃなくて、どうしてテニサーの部長は男の子しかなれないの?どうして同期や先輩を見渡すと、男の子の方が就活がスムーズに行くの?頭固そうで偉そうな男性社員より、私のほうがよっぽど的確な企画出せるのに、どうして発言する機会すら与えてくれないの?どうして宴会でおじさんの隣に座らなきゃいけないの?
どうして?どうして?どうして...?

そういう違和感をずっと引きずって生きてきたことを、2019年になった今、なぜか突然思い出した。

26歳で広告代理店の派遣社員になったとき、私は前任者の女性と交代という形になった。初日、クライアントの宣伝部にご挨拶に行って、上司が「今度の担当はぐっと若返りますから」と嬉しそうに私のことを紹介した。
前任者の女性は確か30歳くらいで、会社に戻ってからひどく憤慨して、上司に抗議していたような気がするけれど、そのとき私は、どうしてこの人はこんなに怒ってるんだろう?と、ぼんやり見ていたような気がする。
だって若い女の子の方がみんないいに決まってるじゃん、って心のどこかで思っていた。

でも、彼女は本当は一緒に怒ってほしかったのかもしれない。
知らない間に処世術として身につけていた私の鈍感力(女性はこうあるべき、こういうポジション、みたいな、諦めみたいなもの)が、彼女を傷つけてしまっていたのかもしれないし、
もっと別の場面でも、私の鈍感力のせいで、無意識に他の女性を傷つけていたり救えなかったりしていたのかもしれない。

だから、そういうニュースが余計に気になってしまうのかな。

まだ頭の中がうまく整理できていないけれど、
女性でも中身は男性みたいな人もいるし、その逆もあるし、表面的な性別とか本当にどうでもよくて、一人ひとり、個々がそれぞれ尊重しあって生きていける世の中になったらいいな、と思う。

#エッセイ
#イラスト
#生き方
#大人になったものだ

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