見出し画像

どういう世界で子育てをしたい?

これは動作学をベースにしたコーチ(川尻隆*)と生徒(ライター古澤)の実際の対話に基づくフィクションです。

生徒:いきなりですけど、私、最近、友達の子どもと関わることが多くて。

コーチ:本当にいきなりやな? どないしたん?

生徒:たとえば「習い事に行きたくない」と急に気分が変わる子どもに対して、母である友達がどう対応するかを見ながら、「自分だったらどうするかな?」ってよく考えるんです。

コーチ:ほうほう。

生徒:「急に行きたくなくなった」っていう子どもの気持ちって、動作学で言えばふと出てきたものだから大事にした方がいいような気もする…けど、それをよしとしていたらろくな大人にならないんじゃないか、とか…。

それで、今回は、子育てにおいて動作学をどういかせるかを聞きたいなと思って。

コーチ:そうか、そうか、オーケー。

それでいうと、まず大きなところを整理しよか。

生徒:はい、よろしくお願いします。

若ければ若いほど進化の最先端

コーチ:子育てに限らないねんけど、そもそも我々大人は子どもから学んでいるっていう大前提を忘れたらあかんねん。

生徒:育てることによって成長するみたいな?

コーチ:というより、進化の観点で見たら、若い方が生物としてより進化しているねん。

生徒:ああ!

コーチ:パソコンで言ったら我々のOSはWindowsXPや。

必死こいてアップデートしてるけど、どんな頑張ってもiOS15にかなわん。

だから、親が何かを教えてあげる、という考えはできる限りなくした方がいいと俺は思ってんねん。

生徒:子どもの方がよほど進化しているから、ですね?

ただ、具体的なケースになるとどうしたらいいかがわからないなぁ。

たとえば、さっき言ったみたいに、子どもが急に「習い事に行きたくない」と言い出した時は子どもの意志を尊重するのでいいんですか?

コーチ:今日休んだら何が起こるのか、きちんと説明して、その上で、子どもに選ばせればええんちゃうかな。

生徒:そうか、大人はこれまでの経験から何が起こるか想像ができるけど、子どもは経験が少ないから、その部分の情報を大人が補えばいいのか。

コーチ:せや。ただ、その際に、親が望む答えを選ぶように仕向けるのはあかんけどな。

あと、子育てについてもう一つ言いたいのは、「こうしなければならない」に縛られている親が多いなぁってことかな。

一人で頑張らなくていい

生徒:「こうしなければならない」というのは固定観念、いわゆるフィルターですね。

コーチ:子どものために仕事を辞めて家にいるとか、それが心からの望みであればええけど、「するべきである」「ねばならない」という考えからやっていたら苦しいねん。

苦しくて家にいても笑顔でいられないなら、仕事で家にいなくても帰った時に笑顔でいられる方がずっといいって俺は思う。

結局、あなたがあなたらしく生きているということが子どもにとって一番重要やねん。

世の中の常識や育児書に書いてあることを一所懸命やることによってあなたらしくなくなっているとしたら、それはよくないねん。

生徒:矢印を自分に向けて、自分の価値観を大事に実践していく…動作学の基本は子育てでも同じってことか。

コーチ:基本ってことで言えば、世界を信頼しようよ、っていう基本も同じや。

生徒:どういうことですか?

コーチ:たとえば、粉ミルクはよくないとか、出来合いの離乳食はよくないとか、よく耳にするんやけど、粉ミルクやって、出来合いの離乳食だって、お母さんと子どもを助けようって思って開発されたものやん?

生徒:まあ、見方によってはそうですね。

コーチ:そっちの見方を選びましょうって話やねん。

そこはあなたの選択やねん。

世界には愛が溢れているっていう見方を選択したら、親だけが頑張る必要はなくて、粉ミルクでも、出来合いの離乳食でも、「これを作ってくれた人がいて嬉しいね」って世界から愛を受け取れるやん。

そっちの世界の方が素敵じゃない?

生徒:なんか夢みたいな世界ですけど、これまた前提というかインプットの話でもありますね。

まずは全ての物事を愛だっていうふうに受け取ってみる。

そういうふうにインプットをポジティブに変えていくことで、自分が体験する世界も変わるってことですね。

*川尻隆:アスレチックトレーナー。SASS Centrum, Inc代表。旧ソ連や旧東ドイツの研究にルーツを持つ動作学を発展させて新たな学問の創出に尽力している一人。動作学を用いた組織マネジメントのコンサルタントとして、横浜DeNAベイスターズでチームビルディングや組織改革も担う。