2022/9/30 日記

新しい寮に引っ越した。
寂しいという言葉を浮かべると、余計に寂しくなるから言いたくはないが、
脳内に寂しいという言葉をコエカタマリンのように浮かべるだけにしてみると、先人や周りの人々がこの感情を浮かべ言葉に表さずにはいられなかった言葉の生み出される過程を想像でき、それだけでも一人ではない感覚になりだいぶましになる。

無音が苦手だ。無音のなかキーボードをたたき、ひたすら自分の考えをアウトプットする時間は好きだ。頭の中の考えを文章に起こすことで脳内が騒がしく、それだけで寂しさを感じる余地がなくなるからだ。
しかし、ひとりでする作業、例えば今回の引っ越しのような荷ほどき作業が自分は苦手らしかった。
好きなチップチューン音楽をかけてみる。少しは身体が動くがだんだんだれてくる。しかし次第に、殺風景な新居の空気の中にその陽気なメロディーが染み込んでいき、少しはましになった。
次にmocriやTwitterのスペースで他人を意識する状態でやってみようと思った。が、しかし、入ったとたん体が動かなくなる。駄目だった。
最適解は人が話しているスペースに入ることだった。人が話していてかつリスナーとして認識されていて、話す必要がなく、BGMとして聞き流して良い絶妙な距離感にある状態。

昔から自分ひとりのためにする作業が苦手だ。
創作なら面白くできるのだが、単純な日常作業は虚無感が多く含まれる。
なぜなのだろう。生きるのに必要な整理整頓衣食住。
どうにか面白くできないものだろうかなんていつも考える。

家を出て寮生活してからひと月が経とうしているが、白い壁と何もない空間があるのは素敵なことだと思う。実家にいるときはいつもなにかしらが壁に貼られており、何かしらの柄があり、隅には何かしらの物が収納される形で置かれていた。心が休まらなかったのはそれも一因だったかもしれない。

自分の心の内を文章化しておくだけでも、心は少し休まる。
明日に備えて今日は寝よう。

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