革命家の空き缶

先日、家の最寄り駅で、自販機の上に乗ったビールの空き缶を見かけた。
普段なら何となく流してしまいそうな光景だが、その日はやけに気になった。
と言うのも、ある疑問が浮かんだからだ。
そこに乗せた、及び捨てた人は、なぜわざわざ自販機の上をチョイスしたのだろう。
ポイ捨てするにしてももっと簡単に放れる場所があったはずだ。
何よりその自販機は横に分別ゴミ箱が備えられているタイプで、労を費やしてまで上に乗せる意味が全然分からない。
また、ビールの空き缶と言うことは、乗せ主はシラフでなかったはずだ。
酩酊した状態で、自販機の高さまで手を伸ばす作業は、さぞしんどかったに違いない。
まあ、人が酔っ払った時なんて、そのぐらい奇怪な行動をするものかもしれないけど。
ただ、ここまで条件が揃うと、オレはおそらく人為的な仕業では無いのではないかと睨んでいる。
予想するに、きっと空き缶が魂を持って、その自販機の上まで登ったのだ。
自販機のラインナップは、よくある一般的な清涼飲料水で、アルコールの取り扱いはまったく無い。
そんな健全な場のゴミ箱に捨てられたビールの空き缶が、「お前ら、価値が決められた右向け右の姿勢で生きていると言えるのか?」なんて旗のもと、革命軍を募るために這い上がってきたのだ。
言うなれば、空き缶界のチェ・ゲバラ、女性ならジャンヌ・ダルクだ。
もし、オレが清涼飲料水なら「缶ビールさん、ありがとうございます!」と垂らし込まれていた気がする。
そして、自分に酔って理想ばかり先行する中身が空っぽのリーダーに幻滅する未来まで見える。
そう、このようなことは缶界のみならず、人間界でもままあることだ。
自分自身が、変に扇動されないよう注意を払いたいと心から思った。
万が一、アホなオレみたいに都合の良い夢に扇動されそうな缶が居るとしたら、声を大にして伝えてあげたい。
「缶違いするなよ」と。

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