見出し画像

「書かれることのなかった小説」#シロクマ文芸部

7/11追記
少し修正(二行目だけ)。関連のありそうな記事のリンクを追加。

 私の日々にヒビが入ったのは日比野に出会ったあの日からだった。

 そう書き出した原稿だったが、すぐに文章に棒線を入れて消した。「あなたの日常を書いてください。次にそこから少し逸脱した話を書いてみてください。それはもう、小説になっています」そんなことを言う講師の口車に乗せられて書こうとした初めての小説は、自分自身のことをありのまま書けない事情があるから、駄洒落で誤魔化してしまった。
 自分で添削してみる。
「私の日々に」→「自分の日常」を少し言い換えてみたかった。その葛藤が余計な駄洒落を生んでしまった。「ヒビが入ったのは日比野に出会った」→「日々」「ヒビ」「日比野」こう書いていて恥ずかしくないのだろうか。どうしてこのようにしか始められなかったのだろうか。

 そもそも日比野に出会ったから私の日常にヒビが入ったわけではない。私はヒビ割れるどころか、粉々に砕け散る寸前だったといっていい。日々(また使ってしまった)私に増えていく傷口は、人並みに寝ても回復はせず、ストレス解消法と呼ばれるあらゆる方法を試してみたところで、むしろストレスを増やすばかりであった。高いところから落とされる陶器のような、壊れ物としての自分を受け止めてくれるクッションは日々薄くなっていった。限界まで薄くなったクッションは紙一枚程度のものとなってしまっていた。そして実際私を支えていたのは一枚の紙、原稿用紙であった。

 学生時代に読書に目覚めた私は、自然と自分もいつか小説を書くものだと信じるようになった。学生時代には一文字も書くことはなかったが、社会人となり、様々な経験を積んでいけば、情緒豊かな文章が書けるものと勘違いしていた。いつか、いつか、はいつまでも訪れず、自身に劇的な出来事が起こってみれば、それはとても文章として記せるようなものではなかった。法にも触れれば血も流れた。行方知れずの知り合いもいれば、目の前で死んでしまった人もいる。可能な限り安全な「書ける範囲」を切り取って構成すればどうにかなるかもしれない、と思いつつも、思うだけでもちろん書かなかった。一枚の原稿用紙は、一文字も記されることなく色褪せていった。

 社会人になり、一度社会からはみ出し、傷だらけになって戻って三十代になり、いつの間にか四十歳を過ぎていた。今頃になって「小説の書き方講座」などを受けようと思ったのは、改めて「自分には書けない」と認めるためだった。書く人は悩むこともなく書き始めるものだ。題材に悩むこともなく、読者の受けなど気にせず、書きたいように書いてから、きっとあれこれ考えるのだろう。私の場合は一行目を書き出す以前に考え過ぎてしまったし、虚構といえど、その中に書いてはいけないことをいくつも埋め込んでしまう気がした。そうすれば私は今度こそ、塀の中に入ることになってしまう。発表した小説が有名になってしまえば、私を殺しに来る者も現れるだろう。
 それだけのことをしてきたのだ。

 そういうわけで、隠し事と書けないことだらけの私の日常を正直に書き出すことは出来なかった。だから日比野のことを書くことにしたのだ。日比野はどん底にいる私に手を差し伸べてくれた唯一の相手であり、今も私の足元を支えてくれる大切な人である。
「踏んでるよ」と日比野はいう。結局小説とはならないこの原稿を書いている最中も、日比野は私の支えとなってくれている。
「だから踏ん出るんだって。君の執筆中の小説を読んでいる最中に寝落ちしてしまったのは悪かったと思っている。だからといって人の体を踏み台にして執筆する人を、俺はまともな人間とは認めない」
 そう、彼に出会わなければ、私はまともな人間には戻れなかった。いくつもの死体を踏み荒らして手に入れた大金を、ドブに捨てるような使い方をしてきた。あの日々に戻りたくはない。
「今度はちゃんと読むから。君の書いた小説を読みますから。お腹も空いたのでご飯にしようよ。カレーの残りがまだあっただろ。もう重いんだよ。先週より重くなってるよ。先月より重くなってるよ。俺どんだけ踏まれてるんだよ」
 やっぱり今日も一枚も小説を書けなかった。
「毎日十枚ずつ熱心に書いてますよね」
 そろそろ日比野の来る時間だ。日頃はぼろくそな扱いをしているが、本当は頼りにしているし、実は愛情的なものも感じているということは隠している。
「おーい、俺たち結婚してるからね。原稿を一行ずつ破って俺の顔の上に落としてきてるから、ほぼ同時進行で全部読めてるからね。あなたはまだ二十代で、学生の頃からばりばり小説書いてるからね。カレー食べない?」
 さて、書ける範囲で日比野との日々を書いていこうか。長い長い話になりそうだ。小説の体をなしてなくたって構わない。
「カレー!」
 うるさい。

(了)

関連記事
↓に出てくる作家の老婦人と、それを支える夫、の若い頃の話かもしれません。

地の文と会話との掛け合いは音楽小説集「HOWEVER」で試みた手法。


入院費用にあてさせていただきます。