見出し画像

「オオアリクイが夫になったきっかけの話」#シロクマ文芸部

 手紙には蟻文字が記されていた。文字の代わりに蟻が這いまわって文字の形を取るというやつだ。魔法と人間が同居していた頃に使われていた古代文字だ。こんな文字を今時使う人間の気が知れない。などと思っていたら、蟻の下にボールペンで書かれた文字が見えた。ジュースでもこぼした紙に書かれた手紙だったらしく、そこに蟻がたかっていただけだった。あなたが好きですとかずっと好きでしたとか、本当はこんなことを書くつもりはなかったのですが好きです、とかそんな文章が蟻の下に見え隠れしたので、何も見てない振りをした。顔見知りでしかない男性からもらった二重の意味で甘い手紙のことなんかよりも、部屋に侵入してきた蟻を退治する方が先決だった。ゴミ箱に手紙を捨てずに早々に燃やしてしまうべきだった。

 キッチン近くの窓の網戸に少し破れ目があるのを発見した。生ゴミ入れは蓋つきのものを買っておくべきだった。しかし仕事に出かける前には蟻の姿は見なかった。私が仕事に出てから網戸が破れたのか、以前から破れていたが、蟻が今日になって嗅ぎつけたのか。表に出て観察してみると、白い壁に沿って散発的に小型の蟻がうちに入ったり出ていったりしている。今後の侵入はこの穴を塞げばいいわけだが、既に侵入済みの蟻を退治するにはどうすればいいのだろう。コロコロローラーで潰していけばいいのだろうが、自分が圧殺モンスターみたいに思えて気が滅入った。昔実家で小型のゴキブリが発生して潰しまくったことは、今でも稀に夢に見る。

 いっそ広げてしまえ、と私は網戸の隙間に指を入れて押し広げた。蟻の入る程度の隙間だから蟻が入ってくるのだ。蟻以上に大きなものも入れるようにしてしまえば、そいつを恐れて蟻は入ってこなくなるだろう。私が押し広げるに従って、案の定カブトムシやらゲジゲジやらが部屋に飛び込んでいった。もっと可愛げのある生き物が良かったので、更に広げると近所の猫が入ってきてくれた。小気味よくトスントスンと我が家の床に飛び降りていく猫たち。猫って蟻を食べるのかなと不安に思ったので、さらに穴を広げると、タイミングよく近所のオオアリクイが飛び込んでくれた。これで蟻対策は完璧となった。

 しかし穴を広げ過ぎたことで、あまりこちらに都合のよくないものも入ってくるようになった。私に手紙をよこした近所の顔見知りの何とかさんが寄ってきて、オオアリクイの入った後の破れた網戸に、一生懸命身体を押し込んでいる。
「何をしているのですか」と私は訊ねた。
「あなたこそ何をしているのですか」ようやく身体を部屋の中に押し込んだその男は、私の部屋の中から、外にいる私に訊いてきた。
「網戸に穴が空いて、蟻が入ってきて大変だったのです」と私は正直に答えた。
「それもこれも、あなたの手紙にジュースがこぼれていたせいです」と続けた。
 男は思い当たる節があったのか、「それは本当に申し訳ありませんでした」と謝ってきた。男の汗には糖分が大量に含まれているのか、あっという間に蟻にたかられていた。男の手足をオオアリクイが舐めて蟻を削ぎ取っていく。そのたびに男はあひゅうとかおひゃあとか声をあげる。部屋の中で顔見知りの男性とオオアリクイがいちゃついているのに、私は部屋の外で網戸の穴を広げている。どんどん広げていく。3メートルほどの巨人が前かがみになって網戸の穴から入っていった。もはや網戸の意味をなしていない。オオアリクイと結婚しそうな男を巨人が追い出してくれるかと思ったが、巨人は勝手に冷蔵庫を開けて中の酒を取り出して飲み始めている。私抜きで宴会が始まっており、猫も華麗なステップで踊り出している。

 私は窓枠ごと蹴り倒して窓という概念自体をぶち壊す。夜が丸ごと部屋の中に侵入していき、蟻も猫もカブトムシもゲジゲジも変質者もオオアリクイも巨人も黒く染まって見えなくなっていく。それなのに私抜きで楽しそうな狂騒は続いている。

「何事ですか」隣の部屋の奥さんが出てきて私に訊ねた。
「網戸が破れて蟻が入ってしまったのです」
「ここにアリの巣コロリがあります」と奥さんが私に何か手渡してくれた。目をこらして見ると、どうもそれは手榴弾にしか見えなかった。
「これは手榴弾ではないですか」
「うちの実家ではいつもこれで蟻を退治していました」
 私は奥さんに言われるがままに、手榴弾のピンを抜き、暗黒舞踏会会場みたいになっている私の部屋の中へ投げ込んだ。するとたくさんの悲鳴が起こって、部屋から蟻とカブトムシとゲジゲジと猫とオオアリクイと変質者と巨人と暗闇が飛び出してきた。散らかった私の部屋の中央で手榴弾が炸裂するのが見えた。

 私は部屋の惨状を直視することは諦めて、隣の奥さんの家に泊めてもらった。
 翌日、私の部屋を覗くと、オオアリクイが掃除をしてくれていた。窓の修理も大家さんへの連絡も、全てオオアリクイがやってくれたという。近所の顔見知りの男は、見かけても私を避けるようになった。猫たちはすまなそうに会釈してくるようになった。結局私の部屋に住み着いたオオアリクイのために、網戸には小さな穴を開けてある。

(了)

今週のシロクマ文芸部「手紙には」に参加しました。
蟻に侵入されて大変だった経験を創作に生かすとこうなる話。
「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」という文面のスパムメールが2006~2007年頃に話題になったのを途中で思い出して、「それならこちらは主人がオオアリクイの話にしよう」というわけです。どういうわけですか。


kindle出版してみました。「作家たち」という、どんな状況でも書き続ける作家たちの生態を書いた絵本です。noteで発表した分を改題、加筆修正してあります。Kindle Unlimited加入者なら無料で読めます。


入院費用にあてさせていただきます。