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千人伝(百六十一人目〜百六十五人目)

百六十一人目 駄名

だな、はすぐに自分に駄目出しをした。
だめだな、もうだめだ、もうほんとだめだ。何もかもやめた。何にもならなかった。全てどうでもいい。これまで何もなかった。これからも何もないだろう。
そんなことばかり呟いていた。

本当はそんなことはなかった。
駄名は幼い弟妹の世話をするのがうまく、毎日描き続けている絵も、見る人によれば感動を与えられる代物になっていた。記録されていれば人心を揺さぶり続けたようなメロディを、オリジナルの鼻歌で口ずさむこともあった。

駄名は自分が救ってきた人に気づけなかった。駄名は自分が残してきたこと、与えてきたものに気づかなかった。周囲の人間も少しばかり遠慮深すぎた。

駄名は悲しみのうちに亡くなった。駄名の消えた世界では、たくさんの笑顔が失われた。駄名の残した名も無き作品群は、長く長く受け継がれた。

百六十二人目 震源

しんげん、は揺れていた。身も心も揺れ続けていた。震源に近づく者も揺れた。身も心も保てなかった。まっすぐに立てなかった。ふらふらと道を誤った。

震源に自覚はなかった。何せ生まれ落ちた時から揺れていたのだ。それが正常な世界だった。本当の地震で大きな揺れが来た時は、誰もが震源と同じ世界を共有した。そんな時に誰かと抱き合えれば良かったのだが、震源はそんなことに心を揺さぶられはしなかった。

震源はまだ揺れ続けている。彼の周辺の人間が死に絶えてもなお、揺れることを止められないでいる。立て続けに起こった大地震は震源が起こしたものだという説もあるのだが、彼はそのことを知らない。ずっと孤独に揺れ続けている。

百六十三人目 豆素

まめもと、と読む。豆素はポップコーンの弾ける前の状態の豆が好きだった。そのままでは固くて食べられないポップコーンの素が、加熱されて割れて弾けて白く広がるのが不思議で仕方なかった。疑問に思うだけではなく、自身もそのようになりたいと願った。自分はまだ固くて仕上がってなくて誰にも見向きもされないが、一度熱せられたならば、人を喜ばせるような、笑顔を作り出せるような人間になるのではないかと思い始めた。

豆素は人であって豆ではなかった。しかし何かに熱心になれば、成果を上げるところまでいかなくとも、人の心を突き動かすような何かを、周囲に見せることは出来るのだ。だが豆素はポップコーンになりたいあまりに、自身の内側から燃え上がることはなく、外からの熱を欲し過ぎた。彼の住む安アパートが隣人の火の不始末により燃え始めた時、これこそが求めていた熱だと豆素は勘違いしてしまった。他の住人は充分に逃げ出す余裕があったのに、豆素だけは、家財道具が焼けていくのにも関わらず、部屋の中に居座り、炎を待ち受けた。彼は望んでいた白い姿に花開くことはなく、燃えて爛れて焼け焦げた。焼け残った骨は豆粒のようにぽつぽつと、彼の部屋に転がっていたという。

百六十四人目 輪鼓

りんご、と読む。昔、輪になって太鼓を叩き続ける楽団がいた。打楽器というのは叩き続けるうちに陶酔していくもので、中には手の皮が破れて血まみれになっても叩き続ける者もいた。ステージの上の太鼓の数は増え続け、観客も巻き込んで夜通し叩き続けられたという。

楽団は観客を取り込みながら拡大と流浪を続けた。輪鼓はそんな旅の途中で生まれた。生まれた時から太鼓を叩いていた。母体の中で馴染んでいた鼓動を太鼓で再現した。どのような大きさの、どのような音色の太鼓であろうと叩きこなすことができた。輪鼓の鳴らす音を聞いた者は誰しも体力の限界を超えて踊り続けた。

輪鼓はやがて子をなした。相手はいなかった。太鼓と交わっていた、と言う者が一人ならずいた。大きくなった腹を輪鼓は叩かずに撫でた。優しく優しく撫で続けた。生まれたその子らの世代あたりから、楽団の妖異的な魅力は薄れ、太鼓は一つの打楽器でしかなくなり、多くの人を惑わすこともなくなった。楽団も解散した。輪鼓の子はギターを弾いている。

百六十五人目 屈折

くっせつ、は屈折していた。屈み、折れていた。人と人との間を屈んで通り抜け、人と人との狭い間を折れ曲がって通り抜けた。人と交われぬのだった。人と合わせられぬのだった。

何度も折れたまま戻れなくなりそうだった。何度も何度も屈んだままでいいかと思った。しかし倒れ伏すことなく、立ち上がった。歩き続け、足跡を残し続けた。

少年時代に始めたギターを四十年以上鍛錬し続けた屈折は、全く売れない時代を過ごしながらも、音楽活動を続けてきた。

その末に、故国以上に海外で認められ、ようやく食えるようになった。屈折が屈折であり続けた結果だった。

練習し続けたギターは、その年月分だけ上手くなり続けていた。


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