Re Act 翡翠の瞳4
ここに来てから、それなりの時間が経った。
相変わらず他人の訪問はないが、それなりにやっている。
接していて、彼も僕のことをそれとなく理解したのだろう
最初ほど排他的な態度はしないが、それでもまだ冷たい態度は残る。
深入りはしないけれども、まあ多少なりとも気にはなる。
洗濯物でもするかと、籠を持って出た。
彼が闇深い森の奥を好んでいるせいで、洗濯物に一番手が掛かる。
少し離れたところに清流があるので、洗うのはいいのだけれども
日が当たらないので、日干しが出来ない。
今までどうやっていたのか。まあ聞いてもどうにもならないけど。
一通り干し終わったので、休憩する。
三時間ほど時間を持て余すが、まあ乾かすのは大事なので仕方がない。
ぼんやり、考え事をしていようか。
(シュンは粗野な吸血鬼ではないようですね)
むしろ、理知的すぎて上物ですらあった。
僕を送り込んでまで確認したがる人間のほうがよほど粗野である。
この土地に対して義理や恩があるわけではない。
だから、別にそんな感情で動いてはいないし、使命感などもない。
自分にできることをやって、家を持って過ごしていければいい。
もちろん、そこに人間が不要なのは言わずもがなである。
人間を害する暇があるなら、関わらないようにしたがるのだろう。
居なければ不快になることもないと考える性格でもなさそうだ。
少なくとも、吸血鬼を忌み嫌い、仇のように見ている
そんな同僚ばかりを見てきた僕としては、それに該当しない気がする。
(人間のほうに禍根が強すぎるだけなんでしょうねえ)
退魔師は、戦闘の中でも、特に吸血鬼を専門に扱う。
そのため、吸血鬼に対していい想いを抱いていない者が圧倒的に多い。
家族を殺されたとか、恋人を殺されたとか。
粗野な吸血鬼がするのはそういうことだ。僕らは軽んじられる。
自分たちが生きていくために、必要な餌だから。食う。
命を対等に見ていないのだから、餌に感謝や同情などあるわけもない。
それに対して、僕らは捕食されるだけの生き物ではなかった。
復讐してやる、そういう思いを持つ生物。
(でもまあ、全員がそうではないから、木乃伊取りが木乃伊になる……
なんてことも、あるんですけどねえ)
どこかのギルドに居た退魔師がそうなったらしい。
いわくその退魔師は恋人を殺され、吸血鬼を嫌いになった。
そんな汚らわしい者は掃除してしまえばいいと、
吸血鬼を皆殺しにする気もあったそうだ。実力の程は知らないけど。
けれども、彼はひとりの吸血鬼に出会った。
人間に怯える様が、どうにも気にかかったのだと。
涙すら見せるそれが、憎いだけの吸血鬼に思えなかったのだと。
ただ、その退魔師は、その吸血鬼に食われて死んでいるのだが。
(そこに何の足りない情報があるのか、僕は知らないし
知ろうとも思わないですけど)
僕にとって、吸血鬼は如何なるものか。
聞かれても、どんなものでもないとしか答えることはできない。
恨む理由もないし、好く理由もない。
なんというか、僕って一歩間違えば暗殺者だったんだろうなって思う程度には
生物に対しての情がないから。
さて、そろそろ帰ろうかな。
ーーー
さて、疑心暗鬼の強すぎる人間に対してどう報告書を書いたものか。
見たところシュンは中々強い。
おそらく危険度Aランクを易々と完遂できる手練れでないと
彼を地に伏せるのは不可能だろう。
であれば、下手に彼を逆上させない方が得策である。
本人が関わりたくないと思ってくれているのだ、
これだから人間は、と一度怒りを買ってしまえば、止めることは難しい。
首を捻りながら言葉を考えていると、ふと侵入者の気配がした。
音が無いので経験がないわけではないのだろうが、
僕に気付かれるのならシュンも多分気付いているだろう。
僕が戦闘できると知られるのは不本意なのだけど……そうも言っていられないか。
(なんで僕一人にやらせないんですかねえ……)
雇用主が違うのだろうか。まあ今はそんなことはどうでもいい。
「これだから人間は、」になられては困るのだ。
銃を服の下に隠して、来客が来たかのように迎えてやる。
何か御用ですか、と笑めば、次の瞬間には刃が見えた。銃身で止める。
ダガーほどの長さ。布でよく見えないが、女性だろうか。
見目麗しいシュンにフラれたことがある……なんて
痴情のもつれがあるとは思えないのだけれども
殺してやると呟く彼女からは、暗殺者としての精神が見られない。
そんなに殺気を出していては簡単に読まれるのだけれど。
振りかぶってから相手に突き出すまでの動作は早いのか、刃の使い方自体はうまい。
それをすべて銃身で受け流しながら、さてどうしようかなあと考える。
捕らえるか?帰ってもらうか?そこである。
(帰ってもらいましょうかね)
うん、そうしよう。
指針を決めて、彼女から距離を取る。
ダガーの射程距離に居なければそれは僕に届くこともない。
そして彼女は僕より足が遅い。シュンのほうに行くのなら打ち抜けばいい。
下がったところで、服に隠してあった符を取り出す。
呪弾銃のほうが応戦には向いているのだが、夜なので発砲音がうるさい。
最初に閃光符、眩んでいる数秒で残りの符の式を組み上げていく。
唯一の難所があるのだけど―――と思っていれば、
出入り口の玄関が勝手に開いた。
これも見られてるってことなのかなあ。もう今更ですか。
符はいわゆる魔術を、人間でも使えるようにするものである。
僕が今使おうとしているのが風。
捕縛、方向調整、力加減―――完了。
「お帰りはお気を付けてッ!!」
開いた玄関の方へ向けて、怪我をしない程度に吹き飛ばす。
飛ばされて家の外へ出た瞬間、扉はバタンと閉まる。
お見事お見事、とのんびりと自室から出てきたのはシュン。
うん、やっぱり見てたんですね?
「やっぱり戦えたか」
「なんのテストだったんでしょうか?」
「いやあれは偶然。たまに来る」
余程俺を殺したいのだろうな、と嘆息している。
口には出されないけれども、その瞳の奥に
殺してやりたいのは俺のほうだと言いたげな焔が見えた気がした。
怨恨は深いらしい。
で、お前も俺を殺しに来たの?と揶揄の入った笑顔。
戦えるのは薄々気付いていたのだろうけど、いざ見てみればこれだ。
少々の戦闘能力を持った人間……では通らないだろう。
殺害できる戦闘能力を持った人間が居るということは、暗殺を疑うものだ。
「うーん。素直に嫌ですねえ」
「なんで?」
「ひとつ。あなたが僕より強いから」
「うん」
「ひとつ。あなたが死んでも利益がないから」
この土地は、彼が来てから本当に危険から遠ざかっていると聞く。
多少の野獣や畑への被害は否めないものの、
少なくとも、寝ずの番を構えて怯えていたころに比べれば
多くの民が夜には眠ることが出来るようになっている。
彼の手腕がいい証拠だ。
そして彼は直接血液を飲むことを好まない。
それは人間側としても被害が少ない提案だ。
問題になっているのは。
人間が彼を信じていないということだけ。
人間が煩わしいなら、それこそ僕を雇ってしまえばいいのでは?
そんな戯れに、彼は未だ不信の残る笑顔だけを返してきた。
まあ、悪くはないとは思われているらしい。
「俺とここに住むなら、戦闘能力は磨いた方がいいけどな」
その言葉の意味を、今の僕では理解できなかった。