Re Act 翡翠の瞳7

「わざわざ来てもらって悪いね」

人間でもそこまで律儀に言わないのにな、と思いながら、シンを見た。
ボクより身長が高いので、見上げる形にはなる。
退魔師相手だと分かっているはずなのに、無防備にも背中を見せているのは
余裕の表れなのか、それとも。

彼に呼び出されたところは、現状では倉庫になっているところだった。
埃っぽくなったそこを見て、シュンは僕を大事にする気が無い……とボヤいていたけれど
初対面のあの毒舌で、大事にされている自信があるのはもはや才能ですらある。
一角にある黒い布を被せてあるものの埃を払いながら、話を続けた。

「これ、何かわかる?」
「グランドピアノですね」
「やっぱりわかるんだ。
 そう、僕はこれの音色が好きでね。
 昔シュンに買わせたんだけど」

グランドピアノって結構な値段ではなかっただろうか。
そんなものを買わせるとは、本当にこの二人の仲は計り知れない。

天板を上げ、歌える?と聞いてきたので、それには首を横に振る。
ボクが出来るのは歌ではなく、演奏だ。歌に関してはからきしである。
それに、じゃあ連弾とか出来そうだねと笑っていたものの
何か弾けるんですかと聞くと、聴いたことがあるものじゃないと無理かなと答えた。

………というと、譜を見て覚えるタイプではないな。
たまにいる、音を覚えるタイプというものが。
そういうのは、演奏より歌う方が得意だと思うのだけども。

「それで、ピアノがどうかしたんですか?」
「いや、ピアノはついでなんだけど。楽しいから。
 どうせ手入れしてないだろうとは思ったけど、まあこの有様だし……」

たまにしか帰ってこないとはいえ、杜撰じゃない?と文句を言っているけれども
たまにしか帰ってこない者のために買って、倉庫にでもわざわざ残しているのだから
シュンの性格を考えたら相当の譲歩だと思うのだけど。
まあ、それはどうでもいいか。多分僕に手入れを頼みたいのだろう。

「シュンが何でああなのか、聞いたことはある?」
「ありませんね。
 聞いて良い事だとも、思えないので」
「キミ本当に退魔師らしくないよね」
「シュンの性格では、つついても白状しないでしょう」
「それもそうだ」

いくらボクのお役目が彼の情報収集だとはいえ、むやみやたらと藪をつつきたくはないし。
今のところ、人間よりは冷静で知性があるとみている分、尊重する気はある。
それに、概ね見当はついているし。

ふう、とシンが一息つく。
どうしようかな、と考えている様は、友人を心配するそれのようだった。
彼とて、友人の情報を何でもかんでも話したいわけではないだろう。
それでも、話してみてもいいのかと思っているのは、それだけシュンを心配しているからだ。

「人間と吸血鬼の間には、大きな隔たりがあるよね」
「そうですね。大きすぎるのが難ですが」
「有名な話だと思うんだけど、吸血鬼に入れ込んで死んだ退魔師の話、知ってる?」
「退魔師の方が元々吸血鬼を忌み嫌ってた話ですか」
「そう」

人間の間でも有名な話だ。
吸血鬼に両親を殺された一人の退魔師がいた。
その退魔師はいたく吸血鬼を憎んでいて、この世の全ての吸血鬼が滅びればいいと思っていた。
勿論そんな逸材をギルドが放置するわけもなく、退魔師として仕事をしていた。

退魔師―――その男は、仕事であろうとなかろうと、吸血鬼と見ればすぐに殺してきた。
知性があるか無いかに関係なく、憎しみだけで動いていた。
そんな折、彼は一人の吸血鬼と出会う。
それが、彼の運命を大きく変えてしまうことになる。

「人間の方では、どういう風に伝わってるのかな?」
「そうですね。
 どんなに無害そうに見えても、吸血鬼は所詮、吸血鬼なのだと
 大体そんな感じで伝わっていますよ」
「中々の言われようだな」
「人間は自己保身の塊ですので」

結論から言ってしまえば、その退魔師は死んだ。
詳しい経緯は分からず、ただ死亡していることだけが事実として明らかになっている。
そして、その死に、その出会った吸血鬼が関与している。
僕らから分かっているのは、それだけだ。

それに、シンは重い溜息をつきながら
「その子、僕の知ってる子でね」と言ってきた。
旅をして回っているとは聞いたけど。顔が広いな。
………というか、結構昔の話だったと思うのだけど、彼の年齢はいくつだ?

吸血鬼は、僕ら人間でいうところの20歳程度から見た目が殆ど変わらない種族だ。
さすがに200歳近ければ分かりやすいものの、150歳程度だとまだ分からない。
この話がいつのものだったか、興味が無かったので覚えていないけれども
少なくとも80年は前の話だったはずだ。

「その吸血鬼、両親を人間に殺されていてね」
「退魔師と逆のパターンですね」
「そう。人間が恐れるから、排除されてしまったんだ。
 そうして、その子もまた人間に大変怯えながら暮らすことになる」

業の連鎖というか、なんというか。
人間はそういうところに気が回らないのは、昔からのようだ。
恐れるあまりに手を出して、それが憎しみを生み出すことだってあるというのに。

その吸血鬼、どうなったと思う?とシンに問われる。
ええ……、そんな質問をされましてもね。僕は人間だし。
怯えながら暮らすと言っていたから、人を避けていたのは間違いないだろう。

「人を避けて生きていくことは、僕らには出来ない。
 人間の血液が、どうしても必要だから」
「……そうですね」
「それでもその子は人間の血液を飲みたがらなくてね。
 飢餓状態になりやすかったんだ。
 そこに、自分と似たような境遇の退魔師が現れた」

退魔師側のものは、愕然としたという手記が遺っている。
今まで見てきたのは、自分を襲ってくる吸血鬼ばかりだった。
違ったとしても、普通に暮らしているような者ばかり。

その吸血鬼は、同じ吸血鬼からすら、迫害されていたのだという。

人間と間違えて助けてしまったものの、その吸血鬼は酷く怯えていた。
憎しみより、哀れみを覚えるほどに。
そうして何度か顔を合わせているうちに、退魔師は消息を絶っている。
理由は不明のままだ。

「退魔師の子ね、自分の血液を飲めばいいって言ってくれたらしいんだ」
「え。忌み嫌ってたのにですか?」
「あんまりにも怯えて飲みたがらないからね。
 さすがに放っておいても無慈悲だとでも思ったんじゃないかな」
「それで死んでちゃ意味がなくないですか?」
「………なんで死んだと思う?」

それを問われ、そういえば何でだろうなと考えた。
退魔師であるなら、多少は僕と同様に鍛えているはずだ。
シュンのように消極的な吸血鬼であるなら、飲むにしても少量のはず。
理由があるとしたら―――飢餓状態、だろうか。

それに、シンは当たりと答えた。
人間に怯えるあまりに、その吸血鬼は人間との接触を極端に拒んだ。
たびたび吸血衝動に襲われては、苦しんで、しかしそれでも飲まないでいた。
そこに、自分を思ってくれる人間がいたら、尚更嫌だと思った事だろう。

「僕らの飢餓状態ってね、すごく苦しいけど、別に我慢できないわけじゃない。
 だから、我慢して我慢して、結構限界だったんだよ」
「……限界になると、何が起こりますか?」
「何も起こらないよ。死ぬだけだ。
 人間だって、食事を断てば死ぬだろう?」

そこまでして、人間から血液を受け取ることを拒絶していたのか。
それほど、その吸血鬼にとって両親を殺されたことは重かったのか。
そして、それをしたのは人間だというのに―――人間側の伝承などこの程度である。
浅はかにも程がある。

でもね、とシンが口を挟んできた。
何かと思っていると、吸血鬼は「どうしても欲しくなる血液」というのがあるのだと。
それは等級の話ですか?と問うと、それにはノー。
好意があるかどうか、それだけなのだと答えた。

「いつも縮こまって震えているような子だったけど、
 その退魔師にだけは気を許した。それが不幸を呼んだ」
「……まさか」
「人間の業を思い知った退魔師が、飢餓状態の吸血鬼に血液をやると言って。
 それを相手が是と言えば、死ぬことくらいは分かっていたはずだ」

自分が肯定してしまったら、目の前にいる人間は死んでしまうと分かっていたはずだ。
それでも、その退魔師はそう言ってしまった。
いくら飢餓状態は我慢できるとはいえ、目の前に欲しいものがあれば手に入れたくなる。

手に入れるということはつまり、退魔師が死ぬという事だ。

「………。そうですか。
 この話をボクにして、何を?」
「大きい壁があるよねって、最初に言ったと思うんだけど」
「はい」
「シュンにも、そのくらい崩せない壁があるんだよ」

何が、とは言わない。
ボクに見当がついているからなのか、親友を思って黙っているのかまでは分からないけれど。
おそらくそれは、人間の女が関与している。
シュンが毛嫌いするのは、「人間」と「女」だからだ。

「性格は難しかないけど、顔立ちは良いだろ?あいつ」
「そうですね。モテるんでしょうね」
「それ本人に言ったら殺されるから言わない方がいいよ?」
「気を付けます」

ボクら人間と、彼ら吸血鬼は、些細なことですれ違いを起こし、
それを和解する機会もなく、誤解したまま伝承として語り継いでいく。
吸血鬼が殺したのだと。
その真実がどこにあるのか、探りもせずに。

そんなものは、今更だった。
所詮人間は人間。人間同士でも争うのだ。
未だに終わらない戦争に、悲鳴も涙も終わりは見えない。
自分を過剰に防衛するあまりに、その防衛はいつしか、攻撃を正当化したものになる。

自分を害されないためにという大義名分を掲げて、
あっちが先に手を出して来たのだという既成事実をひけらかして、
自分達が蹂躙することを正義だと宣うのだ。
その愚かさを、ボクとて知らないわけではない。

「キミは、シュンのことをちゃんと見てくれそうだと思ったから」
「だから、話したと?」
「うん。
 だってねえ、あいつ拗らせてるからね。
 まだ吸血鬼としての生は長いのに、諦めすぎてるっていうかさ」

本当は優しいやつなんだよ、面倒見もいいしさ。なんて。
そんな吸血鬼を歪めてしまったのが人間だと思うと、どうにも居た堪れないものだった。

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