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たそがれ商店街ブルース 第7話 あちら側

 雨宮ドラッグを後にすると、私たちは再び神社へと向かって歩き出した。河童は非常に警戒心が強いのか、相変わらず私の背後にピタリと張り付いて歩いている。河童の存在には徐々に慣れつつあったものの、やはり歩くたびに鳴る変な足音や、風が吹くたびに漂ってくる磯の臭いが気になって仕方なかった。しかし、不思議なことに、そこにはさっきまでのような不快感はなくなっていた。

 神社へ戻ってくると、私たちは周りに誰もいないことを入念に確認してから、本殿の床下に潜り込んだ。そして、じっと息を潜め、もう一度人の気配がまったくないことを再度確認すると、私たちは大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「はい、これ」
 私は膝を抱えて座ったまま、茶色の紙袋に入れられた薬を河童に手渡した。すると河童は「ありがとうございます」と言ってそれを受け取ると、やはり膝を抱えて座ったまま、私が貸しているコートのポケットにスッとしまった。
 私たちはなんだか2人で悪いことを共有しているような気分になり、思わず目を合わせると、どちらからともなく、クスリと笑った。
 日向ぼっこをしながらこちらを見ていた1匹の三毛猫が、大きなあくびをして、目を細めた。

「山ちゃんさん、この度は本当にありがとうございました」
 河童が改まった様子で私の目を見て言った。
「こうして山ちゃんさんのご尽力のおかげもありまして、無事に薬を手に入れることができましたので、私はそろそろ家族が待つ、あちら側の神社へ戻ろうと思っているのですが、どうでしょう、山ちゃんさんにお礼の品もお渡ししたいことですし、よろしければもう少しだけお付き合いいただくことはできないでしょうか」
 先ほども言ったように、私がやらなければいけないことといえば、夕飯の材料と風邪薬を買って帰ることくらいだったので、私は二つ返事で河童の要望を受け入れた。それに、井戸で繋がっているという、あべこべの神社とやらも気になっていたし、河童の家族に会ってみたいという気持ちも募っていた。
 こんなに好奇心がくすぐられているのは、いつぶりだろう。私は少しだけ、浮き足立ってさえいた。

「やっぱり井戸を伝っていくんですか」
 私ははやる気持ちを抑え切れずに尋ねた。すると、河童は膝を抱えたまま少し申し訳なさそうに俯いた。
「もちろん井戸を伝っていくこともできなくはないのですが、やはり井戸の中というのはそれなりに危険も伴いますし……」
 河童はしばらく俯いたままでいたが、ふと顔を上げ、なにかを決心したような表情で私の目を見て続けた。
「それに、私は今、こうして山ちゃんさんの服をお借りして人間に扮しているわけですから、できることなら商店街というものを歩いてみたいのですが、そういう訳にはいかないでしょうか」
 私は本音を言うと、井戸の中を通ってみたかった。この先、井戸の中を通る経験なんて二度とできないだろうし、それに、井戸というものは私にとって、いつだって、なんとなく気になる存在だったからだ。
 しかし、私は河童の希望を断るほどの理由を何一つとして持ち合わせてはいなかったので、再び河童の提案を快く受け入れることにした。

「そうと決まれば、さっそく出発いたしましょう」
 浮き足立つカッパをよそ目に、私は未練たらしく一度だけ井戸の方へ目をやった。すると、いつの間にか井戸にはしっかりと蓋がされていて、さっき私を威嚇して鳴いていたカラスがその上に居座り、じっとこちらを見つめていた。そのカラスの表情は先程よりも、いくらか穏やかに見えた。

 私は念の為、河童の皿の上に乗せていたハンカチを、もう一度手水舎の水で湿らせた。そして、再びそれを河童の皿の上に乗せると、その上からニット帽を深く被せた。
「よし、これで大丈夫」
 私がそう言うと、河童はマスク越しでもはっきりとわかるくらいニッコリと笑って「さぁ早く、早く」と子供のように私を急かした。

 私たちはさっそく神社を出て、踏切へと向かった。河童はさっきまでとは違い、今は私の真横にぴったりとくっついて歩いている。北風がビュッと吹いた。ボブ・ディランの歌声が頭をかすめた。


 踏切まで到着すると、ちょうど列車が通過するところだったようで、遮断機が下り、警報音が鳴っていた。私は踏切が開くのを待っている間に体を捻り、雨宮ドラッグの中を覗き込んだ。
 すると、店内には杖をついたおばあちゃんがいて、ミヤ姉さんはそのおばあちゃんの対応をしているところだった。眉間に皺を寄せて愚痴を垂れ流していたさっきまでのミヤ姉さんとは違い、今は口角をグンと上げて、にこやかにおばあちゃんの相手をしていた。
 私はふと、どちらが本物のミヤ姉さんなのだろうかと考えてみた。しかし、結局答えは出なかった。詰まるところ、どちらも本物なのだろう。私たちはみんな、何種類もの仮面をその場その場で付け替えて、どうにかこうにか日々の生活を送っているのだ。

 列車が音を立てて通り過ぎると、警報音が止み、遮断機が上がった。目の前には人で賑わうあちら側の商店街が広がっている。赤や黄色や緑の看板が高く掲げられた、色とりどりの商店街だ。
 私は背後に広がる閑散とした商店街とのあまりの違いを目の当たりにして、一瞬にして不安な気持ちに陥り、踏切を渡ることをためらっていた。しかし、河童はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、私が着ている薄いセーターの袖を引っ張って「さあ、早く行きましょう」とあちら側に向かって歩き出した。

 私は河童に引っ張られるようにして踏切を渡った。すると、こちら側の商店街はたくさんの人で賑わっているだけでなく、さまざまな匂いが幾重にも重なり合っていた。
 コーヒーショップから漂う香ばしい匂い、ファーストフード店から漂う油の匂い、クレープ屋さんの甘い匂い、焼き芋の匂い、それらに群がる人の匂い、シャンプーの匂い、化粧品の匂い、香水の匂い。
 私は目まぐるしく襲いかかってくる様々な匂いに、いったいどれに意識を集中すればよいのか判らず、鼻をクンクンさせながら、頭をクラクラさせていた。
 さらに、こちら側の商店街はそれだけに留まらず、様々な声や音で溢れていた。
 商店街を行き交う人たちの話し声、笑い声、子供の泣き声、店頭販売の客引き、ビニール袋が擦れる音、硬いヒールが地面を叩く音、自転車のベル、クリスマスソング。
 その溢れかえった声や音のせいで、私は自分だけがすっぽりとシャボンの泡に包み込まれているかのような、不思議な感覚に陥っていた。しかし、それがかえってよかったのかもしれない。自分の周りにできた薄いシャボンの膜のようなもののおかげで、私は商店街の雰囲気に飲み込まれることもなく、自分を保っていられるような気がしていたからだ。

 それに対し、河童はというと、ニット帽とマスクの間から僅かに露出させた目を少年のように輝かせ、右へ左へと絶えず首を振りながら左右に連なる商店を眺めていた。そして、気になることがある度に、矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
「山ちゃんさん、あれはなんのお店なんですか」
「あのUFOに取手をつけたような機械は、なんに使う道具なんですか」
「あのポスターの美女はいったい誰なんですか」
 私は河童のその質問に一つずつ丁寧に答えていった。
「あれはドーナツ屋さんだよ。ドーナツはもちろんなんだけど、サイドメニューにある中華料理もけっこういけるんだ」
「あれは肩や腰をマッサージする道具だよ。たまに違う使い方をする人もいるけどね」
「あの子は、まろん萌果もかちゃんって子で、土曜日の夜中にやってるバラエティ番組で、すごいんだ」

 私は自分の胸までしかない身長の少年に扮した河童と並んで歩いているうちに、いつしか河童の父親になったような気分になっていた。人間と河童の親子。でもきっと、商店街を歩いている人たちからは普通の親子に見えているに違いない。というよりも、そもそも皆んな自分たちの話や買い物に夢中になっているので、誰も私たちに注意を払っている人なんていないのだろう。
 そういう意味では、あちら側の商店街よりも匿名性が保たれているので、河童を連れて歩くのには好都合だったのかもしれない。

 長い商店街の真ん中辺りまで来たところで、私はこちら側の空気に少しずつ慣れてきていることに気がついた。あちら側から見ているだけではわからなかったが、実際に来てみると、そんなに居心地の悪い空間ではなかったようだ。

 商店街の中程には、大きなおもちゃ屋さんがあった。クリスマスが近づいていることもあり、ディスプレイには色とりどりのおもちゃが陳列され、その周りには、トナカイが引くソリに乗ったサンタクロースの人形やリースが、所狭しと飾られていた。その数多くあるおもちゃの中に「河童危機一髪」というテーブルゲームがあった。井戸の中から顔を出している河童に、順繰りにナイフを刺していき、最終的に河童を飛び上がらせた人が負けというゲームだ。
 河童はディスプレイのガラスに顔をぐっと近づけて「河童危機一髪」をじっと見つめていた。
 私はその姿を見て、河童は今なにを思っているのだろうかと、気になってしまった。
 いくらおもちゃだといっても、これは酷すぎる。ふざけ半分でやってよいことじゃない。いつか仕返しをしてやる。バチ当たりめ。
 もし仮に、人間に対してそういった憎しみの感情が湧き出ているのだとしたら、それはとても悲しいことだった。私は横目で河童をチラチラと見ながら、人間である自分たちがとても酷いことをしてしまったんじゃないかと、居ても立っても居られないような気持ちになりつつあった。
 しかし、河童の反応はまったく違った。
「楽しそうだな。是非いつかやってみたい」
 私は予想だにしていなかった河童の発言に、肩透かしにあったような気分だった。
「でも酷いな、串刺しにしちゃうなんて。実に痛そう」
 河童はそう言いながらも、僅かに露出させた目を細めて笑っていた。
「アイムソーリー」
 私はなぜか急に英語を使いたくなった。すると、河童は流暢な発音で返してきた。
「イットダズントマター」

 おもちゃ屋さんの先には、お惣菜屋さんやお弁当屋さん、それに小さな飲食店が所狭しと並んでいて、それぞれにクリスマスチキンの予約のチラシや、お節料理の予約のチラシを店頭に張り出して宣伝していた。

「どれも美味しそうですね、山ちゃんさんはもう予約されたんですか」
「私は独り身だから、クリスマスもお正月もあまり関係ないんだ」
「じゃあ私と一緒ですね、河童の世界にもクリスマスやお正月はありませんから」
 私は生まれて初めて河童になりたいと思った。

 商店街を抜けると、そこには閑静な住宅街が広がっていた。庭付きの大きな一軒家が多く、私が住んでいる古いアパートとは似ても似つかないほどに、どの家も立派だった。そして、その住宅街の先にはさらに豪華絢爛な高層マンション「シャトー・ラ・トゥール」が聳え立ち、私たちを遥か上から見下ろしていた。

 延々と連なる立派な家々を眺めながら歩いていると、河童は「そろそろ着きますよ」と言って、ひょいっと私の前に飛び出した。初めて河童を連れて歩いた時とは反対に、今度は私がぴったりと河童の後をついて歩くような形になった。
「さあ、この角を曲がったところです。でも足元には十分注意してくださいね。大きな裂け目があるかもしれませんから」
 裂け目と聞いて、私は思わず足元に顔を向けた。しかし、そこにあるのはただのアスファルトの道路で、裂け目どころか、石ころ一つ落っこちてはいなかった。
 私はこれはきっと河童的ジョークだなと思い「ちょっと脅かさないでくださいよ、やだなあ、まったく」と言って顔を再び前に向けた。すると、私はいつの間にか神社の参道にいた。

「さあ、着きましたよ」
河童は何事もなかったかのように「ちょっとここで待っててくださいね」とだけ残して、本殿の裏の方へと駆けていった。


第8話へ続く

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