“毒親“と言う限り毒親の支配から抜け出せないカラクリ
みなさんは、毒親という言葉、どう思いますか?私は、毒親という言葉自体に、少し違和感を感じる。
こどもの日になると、X(旧Twitter)のトレンドに、
【毒親育ち】
というキーワードが上がる。
こどもの日は、子供の健やかな成長を願うと共に、親に感謝する日なんだとか。
Xのポストでは、こんな言葉が溢れていた。
毒親で育った身としては、親に感謝するわけがない!
こんな酷い目にあったんだ。
許せない!
親がいなければ良かった。
確かに、私も、たまに、ふとした瞬間に(こういった行事やXのポストを見ていて)思い出した時に、沸々と怒りのようなものが込み上げてくる時がある。
毒親に育てられていなかったら、今の自分はどうなっていたんだろうって。
でも・・・過去には戻れない。
命には限りがある。
明日何が起こるかわからない。
【毒親】への怒り、恨みがある限り、その毒親に支配されているのと同じことだと思う。
どう生きたい?
これからどんな人生を歩いていきたい?
過去ではなく、未来にフォーカスを当てる。
そして、今、どうしたら良いか。
怒り、恨みの気持ちって、なかなか抜けない。
それは分かっている。
でも、その怒りや恨みの気持ちを、ぎゅーって握りしめているのは、自分の手だったりする。
その手を緩めて、そっと手を離すこともできるから。
大丈夫、大丈夫。
いつからだって、自分の人生歩いていける。
簡単ではないかもしれない。
でも、私は、自分の感情との向き合い方を、マインドフルネスの学びで身につけた。
たくさんの学びがあった。
私のところに相談に来る方にも、一緒に心のトレーニングを重ねながら、自分が望む人生を歩いて行っている。
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