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成長の喜び と 過去の戦い

4年以上完全不登校だった娘が、はじめて学校に行きはじめて1年ちょっと。娘は様々なことを学んでいる。その成長の機会を与えてくれる全ての人々や環境が本当にありがたい。

そう思えるのは、どう考えても娘と一緒に通い続けたトモエ(札幌トモエ幼稚園)での日々のおかげで、あの頃に支えてもらって、成長させてもらったすべての人たちへの感謝の思いが募るばかり。

ここ約2ヶ月の間、娘は人間関係においてこれまでの彼女の人生で最大ともいえる困難を抱えていた。

一度だけ「学校に行きたくない」と言って1日休んだけれど、それ以降は臆せずに学校に行っている。

ここ数週間に至っては、娘はむしろ張り切っていて、朝は起こさなくても自分で起きてサクサク準備するし、宿題の親のコメント欄をちゃんと書いたかどうか、娘が私に確認をしてくる。

もちろん娘も日々ショックを受けたり、悩んだり、落ち込んだりはしているんだけれど、どこかに常に少しだけの余裕みたいなものがある気がして(これがトモエでよく聞く自己肯定感!?)興味深く見守っている。

そろそろ娘の人間関係も改善に向かい、新たなフェーズを迎えつつあった、そんなタイミングで学校の先生と最初のクォーターを振り返る面談。

...驚いた!

「まーだまだ」と思っていた英語のライティングが「あとちょっと」まで来ていた。そして、数学と社会については十分に追いついていた!さらに驚いたのは、なんと数学のテストがクラストップだったという…!

なんでも「回答方法を含め文章で説明する」という設問で、多くの子ども達が苦戦したところを、娘はほぼ完璧な回答だったらしい。(でも、回答には「たぶん」って書いてあった/笑)

心も脳も確実に、そしてものすごい勢いで成長している。

日本で不登校だった時によく周囲に「勉強はどうするの?」と聞かれた。多くの親達は「授業についていく」ことに重きを置き、「遅れる」ことをとても恐れているようだった。

私も時々不安になったけれど、その度に不登校経験者の家族の話や書籍などを支えに、「本当に大切なものは何か?」を自問して来た。

データでは「小学校の6年間をかけて団体で学ぶ学習内容は、個人なら2年で学べる」とあったし、何よりも「学ぶことの楽しさ」を失わないで欲しいと思っていた。「勉強が苦しいもの」になって「勉強嫌い」になるくらいなら、勉強しなくていいと自分に言い聞かせて来た。

振り返って、本当にそうだったんだなぁと実感するのと同時に、学ぶことの喜びを娘から奪うことなくここまで来れたことに安堵している。

今、娘の日々は、眩しいほどに学ぶことの喜びに満ち溢れている。

私の子育ての指針は、とにかく「愛すること」。具体的には「信じること」「待つこと」にしようと心に決めたのは、いつだっただろう。「信じて待つ」というのは「余計なことをしない」ということにも等しいかもしれない。

文字にしてしまえば、なんということはない。本当にシンプルで簡単そうなことだけれど、実際には決してそうではなかった。辛い気持ちになればなるほど、ついつい自分の正義を証明したくなるし、相手に非を認めさせたくなる。自分を正当化するために、そうじゃない他人を否定したくなる。(たぶんそういう言動をしたことも一度や二度じゃないと思う。ごめんなさい!)

自分の不安を拭うために、子どもに勉強して欲しいと願ってしまう。自分の心の安定のためなのに、「あなたのため」なんて言って子どもに勉強をさせたくなってしまうww

そんな自分の中での戦いを、ずいぶんとして来たなぁと振り返る。そして、そういう戦いから卒業できると実感もする。今はもう、もっとゆったりと見守って待つことができる。娘の成長とそれまでの過程を通して、私自身の自己肯定感も確実に少しずつ高まっている。

こうして娘や、周囲の人に支えられて、私は娘と二人三脚で成長している。見守り、支えてくれたすべてのみなさんに、感謝しかない。どうか、一人でも多くのみんなが幸せで、成長を感じられる日々を送っていますように。

心からの愛を込めて。

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