「ペチュニアの咲く丘に」#5 違和感

 真司の歌を聴きながら仕事の準備をする咲良。上機嫌だ。


 付き合いたてと言うのはどうして胸の奥底が落ち着かないのだろうか。
 何を着て行こう。昨夜から用意していた洋服もいざ当日になると気分的に違うような気がして、また一からコーデを考え直す。
 女という生き物は好きな人の前ではいくつになっても可愛くありたいものだ。

 付き合って2ヶ月。咲良と真司は近すぎず遠すぎずな距離感をほどよく保っていた。
 今日は3回目のデート。と言ってもお金のない真司とのデートはもっぱら、浅草から隅田川を抜けて歩くぐらいだ。

 社会人になって咲良の周りの友人はこぞって美味しいご飯に連れてってくれる彼氏探しに夢中。
 時々咲良も数の一人として駆り出されるのだが、好きでもない相手とご飯に行き、仕事の取引先でもない相手に愛想を振りまき、自慢話に相槌打って、それから、さしすせそで返す。
 自分の感情を押し殺してまでそんな人といる時間が不毛に感じ、どこか俯瞰的に見て違和感を感じていた咲良にとっては、こういうシンプルだけれども気を遣わない平凡なひと時の方が居心地が良かった。
 手を繋ぎ、互いにそれぞれに街中の風景を眺めて違うことを考えて、無言でも居心地のいい時間が二人の間には流れていた。

 真司は平日定時で帰れる仕事しており、仕事が終わるとすぐに音楽活動に励む。
 会社と家の往復で1日が終わる咲良にとっては、日中仕事をして夕方から休む間も無く音楽活動に専念する真司の姿勢に尊敬の念を抱く一方で、どこか心の隅に置いてけぼりにされているような寂しさがあった。
 その時はまだ心の奥底の胡麻粒程度の感情だった。

 真司は真夏に自身の2度目となるワンマンライブを控えていた。
 新曲のレコーディングから来場客への招待状を一人でこなしていた。

 《今度の水曜日20時からレコーディングやるから、もし空いてたら遊びにおいでよ》

 真司からのLINEが来た。
 音楽に疎い咲良だが、行ったことのないレコーディング現場に行けることが嬉しくて、行くことにした。

 急な仕事の頼まれごとをされぬよう、その日はそそくさと定時に終わらせてレコーディング現場に向かった。
 到着すると、目を瞑りながら発声練習をしている真司がいた。なんとなく、気がつかれないようにと咲良は気配を消していた。
 咲良は見えない所で気を遣える。
 老若男女問わずに愛される彼女の魅力だ。
 しかし、相手が鈍い感性だと咲良の気配りに気づくには時間がかかる。

 レコーディングが始まると、スッと真司に何かが舞い降り、アーティストの真司が現れた。咲良は編集部屋に居させてもらい、間近でその姿を見守った。
 一旦休憩を挟み、咲良が居ることにそこで初めて気がつく真司。
 無邪気な笑顔を咲良に見せ、再び戻った。

 レコーディングが想定時間に収まらず、徹夜することになった。
「咲良、ごめん。思ってたより時間が押しそうだから、今日はもう先帰っといていいからね」
 終電の時間を忘れてしまうほどレコーディング姿を見続けていた咲良は、ふと我に帰った。
 真司はそう言ってまたレコーディング部屋に戻って行った。
 咲良は終電前の夜道を一人で歩いた。


 咲良はこの時、真司と付き合ってから初めて、違和感を感じた。



「女子を夜道に一人で歩かせるなんて…」