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【短編小説】恋人以上、芸人未満

「僕の将来の夢はお笑い芸人になることです。世界中のみんなを笑顔にします」
 私の幼馴染であり彼氏でもある優星は、小学生の時にそう高らかと宣言した。授業の中で、「将来の夢」をみんなの前で発表しないといけなかった。
 私も何か言ったはずだが、「花屋」だったか「パン屋」だったか、それとも当時流行り始めていた「YouTuber」だったか、覚えていない。だが、優星の夢だけはしっかりと残っている。その声色、トーン、表情、そして本気で「世界中のみんなを笑顔にする」という気概。すべて、すべてが、克明に焼き付いている。
「よう、南。なんか浮かない顔してんな」
「別に。ただちょっと感傷に浸ってただけ」
 高校3年生の冬。受験シーズンも佳境を迎える中、私と優星はいつもの如く放課後に駄弁っていた。幼馴染だから当然だが、彼とは中学まで一緒。だが、まさか高校まで一緒になり、クラスまで一緒になるとは。運命だ、と思った私は底抜けのバカである。
 だが、その先の進路は異なる。彼は幼い頃の夢を律儀に守って、芸人への道を進もうとしている。対して、私は地元の大学への進学が決まっていた。
「本当に大学行かないの?優星の成績ならどこでも入れるよ」
「大学お笑いもいいけどな。令和ロマンとか、ラランドとか、真空ジェシカとか。でも俺は令和ロマンかヤーレンズならヤーレンズになりたい」
「本当に意味がわからない…」
 つまりは大学に行かずに、高卒で芸人になりたいということを、彼は独特の表現で表した。だが、ヤーレンズの出井さんは中退ながら大学には行っているので、厳密にはいい例えではない。
「でもさ、優星、ちゃんと成績いいじゃん。今からでも、どこの大学にだって入れるよ」
 優星は、芸人になりたいと標榜してから常にお笑い第一で貫いてきた。しかし授業は至って真面目に受けてたし、学力は高かった。めちゃくちゃ悔しい話だが、私より頭がいい。
 しかし彼は頭を横に振った。
「それはさ、お笑いって実は教養大事だと思ってるから。だから勉強してきた。しかもバカな芸ばかりしてる奴が、実は頭いいって最高のお笑いじゃない?」
「いや、わかんないけど」
 優星との会話はいつもこうだ。彼はお笑いしか見ていない。どうすれば、お笑いになるのか。どうすれば人を笑わせることができるのか。それは彼の美徳だと思うし、実際に彼の周りには笑顔に溢れてた。私も彼の言動で大爆笑をしたのは一度や二度ではない。
 だけど、時々不安になる。彼の目には私の姿はどう映っているのだろうか。自分のお笑いを見にきている「聴衆A」か「ファン1」でしかないのではないか。そんな気がしてしまう。果たして、私は優星の目にちゃんと「彼女」として写っているのだろうか。怖くて聞けてない。私は臆病だ。
 私と優星が付き合い始めたのは高校1年の時からだ。「ずっと好きだった。付き合って」と私が言った時、彼の第一声は「え?」であった。幼馴染として、彼は私に熱い友情を感じていたが恋愛感情は持っていなかったらしい。目をパチパチと瞬かせている。人が人生の大イベントである告白をしているのに、その返答が「え?」とはあまりにふざけている。私はダウンタウンの浜ちゃん並みの威力で、コイツの頭を叩いてやろうかと思った。
 しかし何やかんやで、私たちは恋人になった。私は彼がお笑いに情熱をかけていることは知っていたが、初デートがイオンモールのお笑いステージだったのには、正直呆れ返ってしまった。「南、トムブラウンが好きだから、絶対喜ぶと思って!」と言って、彼はなぜか自信満々だった。
 確かに舞台上、トムブラウンさんのステージはとんでもなく面白かった。シュールな世界観は一気に日常を非日常に変えてしまうパワーがあった。しかし、これが初デートで良いのかという憤りが常にあった。水族館でもいい、動物園でもいい、美術館でも、映画館でも、近くのカフェでも、駅前のショッピングセンターでもいい。どこに行こうと、初デートは青春の貴重な1ページになる。だから、今日だけはお笑いのこと、忘れて欲しかった。イオンモールのお笑いステージに行くのは、今日じゃなくたってよかったのに。トムブラウンさんの爆発的な力で、私は大爆笑をしながらも終始心は曇っていた。

 そんなヘンテコな初デートから、2年。その2年の間に、私たちは徐々にだが大人の階段を上がっていた。卒業が近づいてくるたびに、私は優星は違う世界を生きていることを否が応でも感じざるを得なかった。
「やっぱり上京するの」
「当然。事務所の数が桁違いだし」
 彼の答えは明瞭だった。少しは地元に残る私と離れるのが寂しいとか言って欲しい。
「いや、なんかいっそ全くお笑いの事務所ないところから突如現れたフリー芸人って言うのも面白いかもな。南、どう思う?」
「それは地元に残るってこと?」
「いや、縁もゆかりもない方が面白い」
「面白いかなぁ?」
 彼と話していると、私と優星は全く違う世界を生きているような気がする。こんなに物理的には近い距離にいるのに。彼は私の理解が及ばないところにいて、今後さらにお笑い界という更に遠くへと行ってしまう。
 わかってたことなのに。前々から知っていたことなのに。それなのに、今、私はどうしようもなく寂しさを感じていた。
「行かないで」と言いたい。
「ずっと地元にいてくれたらいいじゃん。今は配信の時代だし、地元にいてフリーで活動してたって全国に名を轟かせることできるって。そっちの方が面白いよ」と、叫びたい。
 だが、私がそう言えば、彼はそれを受け入れるだろう。小学生の時にお笑い芸人になると高らかと宣言し、今の今までお笑いのことしか頭になかった彼が、私の一言でその道をあっさりと諦めてしまう。彼は底なしのお人よしだから。私のために夢を諦められるほどの特大のお人よしだと、私は痛いほど知っている。
 だから、私は本心に蓋をし続けてる。
「ねえ、上京しても浮気しないでよ」
「なんで、急に。絶対しない」
「でも、東京には可愛い子いっぱいいるよ」
「ほな浮気してまうなー」
「ミルクボーイさん風に、最低なこと言わないでよ」
 冗談なのか、本気なのか。
「遠距離恋愛になるけど上手くいくかな」
「リモートで漫才とか面白そうじゃん」
「待って、私を相方にするつもり?」
 彼は、ニコリと笑った。いや、それはどっちの笑いなのか。本気で私とリモート漫才するつもりか。
「……冗談だよね」
「ZOOMでいい?」
「具体的な話、進めないで」
「トリオ漫才もいいかもな」
「あと1人、誰を入れるのよ」
「いっそダウ90000ぐらいにしてみる?」
「あと6人、誰を入れるのよ」
「7人現地で、南はリモートで」
「割合おかしくない?」
 ケラケラと優星が笑い、私もつられて笑ってしまった。みんな現地でわちゃわちゃしてる中、私だけ画面越しで漫才披露してるのは、確かにあまりにもシュールだった。
 このやろう。私は心の中で毒づいた。結局、またお笑いの力でうやむやになってしまった。これだから、私はお笑いが大好きだし、それ以上に優星のことが大好きなのだ。

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