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制作ユニット・製作機関いぜるい~あ『やってきたゴドー』観劇の感想

結稀キナさんの縁を辿って、『やってきたゴドー』のオンライン配信(YouTube)を観劇しました。Vimeoや観劇三昧が使われる事も多いですが、観る側としてはやはりYouTubeだとテレビ画面で観るにも、例えばFire stick tvを指すだけで簡単に観劇出来るので有難いものです。Vimeoでも観劇三昧でもいいんですけどね。

そして観ました。

終始狂気染みたように言葉に固執する人々。徹底的に説明台詞で埋め尽くされ、不可解で丁寧で噛み合わないやり取りの応酬。何故そこに居てそれがあって、そこに来るのか。この人達はどれだけお互いを理解認識しているのだろうとハテナハテナ。

徹頭徹尾ハテナマークが浮かぶ作品、世界観ではあるものの、しっかりと作られた劇の印象であって、なんだか変わったものを観たなという体験感は十分でした。これが不条理劇なんだろうか。分からないけど条理がでこぼこしていました。

それで観劇後に調べると「ゴドーを待ちながら」と言う《不条理演劇》とされるジャンルの代表作のようなものがあって、それを書いたのが分野の世界的な人物であったベケットという方。恐らくはその「ゴドーを待ちながら」をモチーフにした作品を、これもまた日本における《不条理演劇》の第一人者である別役実という方が書き上げた戯曲が今回の『ゴドーを待ちながら』のようですね。その戯曲を演出しての公演だったようです。今回の公演における、いぜるい~あの方々、役者、スタッフの方々等々作った人達は、高い質でやりきったんだろうな、と言うのはとても感じました。

いわゆる《不条理演劇》と明確に定義されるような作品を観たのは自身初かなと思うんですが、率直に言って戯曲が大半を占める意味合いで「おもしろい」「たのしい」「きもちがいい」と言う所には無いものだと感じたのですが、それでもこの不可解なものに、「きちんと造られたモノ」としての形を与えていたとは思うので(ルーツが古典でありジャンルも伝統あるものみたいですが)極めて短い観劇歴の自分にとっては未知の新しい、不可解・不可思議なものと出会えた事、思索するきっかけでもあり面白い出会いでした。

不条理演劇を書く人って凄いな。ある種、物語を放棄してのパフォーマンスと言うか、そういった側面もあるのかな。もっと抽象的に身体表現や音楽を使った演劇もあるけれど、それらに比べても、不可解で理解を拒否するものとは言え、きちんと成立する文章に則ってはいるわけで、その文章をどういう感覚で書き出せるのか🤔

長くなりましたが、こういう作品をきちんと丁寧に作り上げて上演していくのも凄いなって思います。

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