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自分の表現したい事=世間のニーズなら両者ウハウハなのだろう

これは昔から常々感じていた事なのですが、

「これはいけるかもしれない・・・!」と思ってした事がはずれて、逆に「これはまぁ、こんな感じでテキトーにこうしてこうして・・・」と何となくした事が当たる事は多々あるなぁと思います。

異文化交流

小学生の頃、私の住む町はブラジルの某市と姉妹都市提携をしており、留学生が来たり授業で語学を勉強する時間なども設けられました。学校生活の様々な部分にブラジル要素が取り入れられ、今でも忘れられないのが給食の時間に出た、「トマトをココナッツミルクで煮た料理」です。

味の感想ですか?トマトをココナッツミルクで煮た味でした。


・・・本題に入ります。

ある日の図工の時間に、夏祭りの絵を描く授業がありました。子供の頃から絵を描くのが好きだったけれど、どうも「授業で指定された絵を描く」というのは別だったようで、あまり乗り気になれずに描いた覚えがあります。恐らく自由に描けないのが当時は窮屈だったのでしょう。

今はお題があっても、よっぽど自分の画風に合わないテーマでない限りは描けます(例えばものすごく写実的に描け、とかいう指定があるものは私の画風では難しいです)。

ブラジルに行った絵

その夏祭りの絵ですが、コンテストか何かで入選しブラジルに行くというのです。担任の先生からその事を聞かされた時、喜びよりも先に

「なんであの絵が・・・」

という気持ちで一杯になりました。今でも何故あの絵が選ばれたのか分かりません。そして付け加えるように

「ブラジルに行ったっきり、向こうの学校に寄贈するので戻ってこない」

という、片道切符そして今生の別れを告げられました。しかし特に思い入れもない絵でしたので、

「ああ、絵はブラジルに行ったっきりもう戻っては来ないのだな。ブラジルだから船で運ぶのだろうか」

そんな事を考えていました。船と言っても、当時の私はカヌーで運ぶ様子を思い浮かべていました。そしてそれっきり絵を見る事はなく、時々こうしてふとした瞬間に思い出すのです。

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こんな感じの絵です。配色も思い出を頼りに再現。割と忠実だと思います。

ちなみに小学生当時、このような髪型にした事は一度もありません。これは一体誰だ。

秒で思い付き、数分で描いた4コマ

今から5,6年前の事です。とある4コマ漫画のコンテストで、順位としては3位くらいの賞を頂いた事がありました。どちらかというと絵よりも「起承転結」の内容を評価していただいた気がします。お寿司のサビと幼い兄妹の話を掛け合わせた内容だったと思います。

この漫画も「なんとなく思いついたから」描き、賞をもらったわけですが、ブラジルの絵と同じで

「なんでこれが評価されたのだろう」

と疑問を感じました。しかしこの時の受賞は素直に嬉しかったです。ブラジルの絵もこの4コマも、

「自分では大して力を入れずに描いたけれど、評価する人には良いと思われたのだろう」という結論に達しました。そのまんまだな。

良いと思って作ったものが案外

「お、これは手ごたえがあるぞ。いけるんじゃないか・・・?」

と思って投稿したり提出したものは大抵芳しくなかったりしますね。しかし原因は色々あると思いますがね。タイミング、力不足、etc

いわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる方々もテレビで、

「何がバズるか分からない」

と口を揃えて言っていたので、そういう事なのでしょう。

おわりに

今も昔も、人が人を評価しているわけですからね。しかし、

世間に合わせすぎて自分が無くなってしまう

事はできればしたくないですねぇ。自分の生み出すものを「良い」と言ってくれる人を徐々に増やしていきたいです。世間のニーズと自分のしたい事が合致したら、それは素敵な事ですね。

「今の時代、絵を描く人も踊ったり歌ったりできなきゃ」とかいう時代が来ても、クオリティ云々が不問ならば頑張れそうです。そこに「美人で」が加味されたら頑張れません。








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