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リーダーとして、僕が一番許せないことについて考えてみた。

とても気になっていることがある。

4月16日に行われた日米首脳会談終了後の共同記者会見での一幕。
ロイターの記者が菅首相に「公衆衛生の専門家は、日本が五輪を開催する準備ができていないと指摘している中、開催するのは無責任ではないか?」と質問した際、管首相は記者からの質問を無視し、次に控えていた日本人記者に質問を促したのだ。

全世界が注目する日米首脳の共同記者会見の場で、海外メディアからの質問を黙殺する、それも首相の言う「世界の団結の象徴」であるオリンピックと、全世界の課題である新型コロナウィルス感染対策についての質問に対して「無視」するなんて、日本国民の一人として恥ずかしい…と思ってしまった。

いや、それにしても何でそんなことができるんだろう?ある意味、勇気ある行動?!いや、暴挙とも言える態度だと思うんだけど、こういうことができる無神経さに驚いてしまった。

そもそもメディアの役割の一つは、施政者(権力者)に対して、世論を代表して疑問をぶつけることだ。だから、権力者は真摯に誠実に応えなきゃならない。ましてや今回のことは世界中の人たちを代表して質問されているんだという意識で、きちんと応えなければならなかったはずだ。

でも、僕たちの国の代表は、世界の人たちからの「正直な疑問」を黙殺した。…酷い。。。

百歩譲って、本当に感染対策がまだ準備できていなかったとして、世界中を不安にさせてしまうような発言はできないと考えての態度だったとしても、です。
…無視はだめでしょ、無視は。

自分に都合の悪い質問は、聞こえなかった振りをする。
或いは、自分たちに不利な質問は黙殺する。
そういうのって、リーダーとして絶対にだめでしょ、と思うわけです。
明らかに、一般人を馬鹿にしてる。大衆蔑視が過ぎると思う。

一般家庭の出身で、庶民派宰相とも言われた管さんだけど、長期政権で権力中枢に長くいると、人ってこうも変わってしまうものなのかと、悲しくなってしまった。

帰国後の衆院本会議で、立憲民主党・緑川貴士氏からの質問に対して首相は、「ロイターの記者の質問は、バイデン大統領に対する質問だと認識してしまい、結果として回答漏れがあったのは事実」と答えたようだけど、もしそうだとしたらそれは菅首相の誤認じゃなくて、同時通訳が間違えたということになってしまう。でも、そんな訳ないでしょ?!と思うわけ。
…本当は分かってて、敢えて(或いは習慣的に)応えなかっただけでしょ?!と思ってしまった訳です。

僕は、差別する人、女性や子供や人種や貧富の差や、住んでる地域や出自や、そういう様々なことで人を差別したり蔑んだり、軽くあしらったりする、そういうことが(そういう人が)断じて許せないのです。昔から。ホント、ワナワナしちゃうくらい許せない。

人を無視するということは、いなくてもいいって言ってるのと同じ。存在否定、全否定だと思う。

必要じゃない人なんていない。そして、生きとし生けるものはみんな平等じゃなきゃおかしい。そう信じているからです。

僕は思います。
リーダーは、絶対に人を差別しちゃいけない、と。

管さんの姿勢は、リーダーとして僕が一番許せないことだ。
でも、人間は誰も弱いから、権力を得て、その権力を守りたいって必死になって、そういう生き方を続けていたら、誰だって自分にとって都合の悪い存在は黙殺したり排除したりしてしまう可能性があるんだなーってことを、痛感しました。

そう、かくいう僕だって、管さんと同じような境遇に立たされたら、同じ過ちを犯してしまう可能性は大いにあると思う。
仕事柄、先生先生と言われて生きることに安住してはいけない!こんな立場だからこそ、自制し、自問自答し続けなきゃいけないなと、強く感じさせられた一幕でした。

次回は、もしも僕が管さんの側近だったら、ロイターの記者のような質問に対して、どんな返答を準備したかという、僕の私見を記してみたいと思います。管さんのスピーチ原稿草案、考えてみたいと思います。

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