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まれびと、稀人。

外部からの来訪者(異人、まれびと)に宿舎や食事を提供して歓待する風習は、各地で普遍的にみられる。この風習の根底に異人を異界からの神とする「まれびと信仰」が存在すると言われています。まれびとが「神」として仮面を被る祭礼も、北は男鹿半島の「ナマハゲ」南は沖縄宮古島の「パーントゥ」と全国各地に存在しています。
さて、「まれびと」という表現は1929年(昭和4年)、民俗学者の折口信夫によって提示されたそうです。
神は、海の向こうの異界からやってくる(沖縄のニライカナイ)ということから、異国からの来訪者、旅人や乞食、流しの芸能者までもを異界からの来訪者として歓待する、そんな文化が日本にはあったそうです。多種多様な人たちを受け入れ、歓待する価値観がこの国には存在したというわけです。

転じて、政府が2021年2月に閣議決定した出入国管理法改正案は、命の危険に晒されている難民の受け入れに配慮した改正案とは言えないんじゃないかと、僕は思います。安価な人件費で、労働人口の減少を解消しようと「外国人技能実習生」制度を悪用する企業の事例も多い中で、本当に困っている外国人を受け入れることには二の足を踏んでいることに、疑問を感じてしまいます。

2019年、日本での難民申請者は10,375人。そのうち難民として認定された人はわずか44人です。この数字は、世界でも類を見ない極めて少ない認定数です。例えば、シリア難民の認定率(2017年)は、ドイツでは38%、アメリカでは82%、オーストラリアでは94%ですが、日本では、2011年から2017年の間で81人が申請したところ、認められた人は15人(19%)に留まっているそうです。(認定NPO法人難民支援協会HPより)

難民支援協会によれば、日本は、そもそも難民問題に対する政治的関心が薄いということや、難民認定をする管轄部署が、入国管理を担当する部署と同じだという構造的問題など、理由は一つではないようです。

ただ、新型コロナウィルス感染拡大に伴って、「〇〇警察出現!」などとマスコミで取り上げられる事例や、感染者や医療従事者を差別し、酷い場合は街から排除しようとするような状況を見ると、「まれびと信仰」は何処に行ってしまったのだろうと、悲しい気持ちになります。

異質なものを畏敬し、歓待するという日本の文化は、先祖を畏敬し、お盆やお彼岸の儀礼を大切にするという祖霊信仰と結びついている。
しかし、そのような儀礼文化でさえも、いつしか経済合理性に侵食され、商品化されてしまったことで、かつて持っていた価値が陳腐化してしまったようにも感じます。

畏敬とは、畏れ敬うこと。
「畏れ」とは、圧倒的な存在に対して慎んだ気持ち・態度になること。
対して「恐れ」とは、身の危険を感じてそれから逃げたいと思うこと、あるいは、悪いことが起きないかと不安を感じること。
得体の知れないウィルスを「恐れる」気持ちは理解できるけど、人間に対しては外国人であろうと感染者であろうと、まずは「畏れる」気持ちを持って接することができる自分でありたいと思います。

一日でも早く、僕たちの国が、かつての寛容さを取り戻し、現代の「まれびと信仰」的な、新しい交流文化を創造しなければならないと、心から思います。

できるかなーと不安にもなりますが、でも、頑張ってみようと思います。

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