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どこから海を見ようか


19歳、わたしは沖縄でひと夏を過ごした。

というのも、高校を卒業したわたしは東京のホテルの専門学校に進学し、夏の間リゾート地で住み込み実習をすることになったのだった。

なぜ行き先に沖縄を選んだのか。
それは単純に夏っぽいなぁと思ったから。
せっかく季節そのものがイベントのような夏の時期に行くのだから、海を満喫できる場所がいいだろうと、泳げもしないのに沖縄を選んだ。




寮からホテルまでの道は一直線の下り坂。

1度も自転車のペダルを漕がなくてもホテルに着くんじゃないかというくらいの、なかなか角度のある坂だった。
朝の6時くらいだったか、それくらいに寮を出て坂を下ると、奥の方にキラキラしたものが見えてくる。

海だ。


沖縄の人はこんな風に生活の中に当たり前に、青くて透き通った海があるのだと感動した記憶がある。
沖縄の人にとって海とは、川に挟まれた街で生まれ育ったわたしが土手を見るような感覚なのだろうか。

ドラマ「SUMMER NUDE」が大好きだったわたしは、山Pの歌う主題歌を口ずさみながら自転車でホテルへと向かう。

海を見ながら出勤というシチュエーションに興奮し、はしゃぎすぎてる夏の子ども状態で職場にやってくるわたしを実習先のみなさんはあたたかく迎え入れてくれた。


「海がすごく綺麗ですね!」
なんて当たり前なことしか言えないわたしに、海しかないんだよと謙遜しつつも、でも誇らしげに海のことをたくさん話してくれた。

おすすめスポットも教えてくれたのでさっそく次の休みの日に行ってみることにした。

この岩の上に座ってるのがわたし


先程ちらっと書いたけれど、わたしは泳げない。
だから沖縄の人にサーフィンをおすすめされて、一緒に行こうよ!いい波乗ろうぜ!なんて言われたらどうしようかと密かに不安に思っていたけれど、沖縄の人たちは泳ぐことよりも見ることをたくさんおすすめしてくれた。

この写真の場所も海水浴をするような場所ではなく、近所の人たちが散歩するような場所だった。

他にも海が綺麗に見える橋や、灯台のある場所に連れて行ってくれた。
沖縄の学生はこういうところでデートするんだよと、なんとも素敵な話を聞けたりもしてわたしは沖縄生活をとても楽しく過ごしていた。




千葉の田舎で育ったわたしは、子どもの頃海がキレイだと思ったことがなかった。
青く透き通るキレイな海をこの目で見たことがなかったからだ。

高校生になり何度か海に遊びに行こうと誘われたことがあったけれど、プールみたいに更衣室があるわけでもなさそうだしチャラチャラした人がいそうだし(偏見がすぎる)、そもそも泳げないので断っていた。

プールは泳げなくても浮き輪で浮いていればいいが、海は危険だ。
もし大きな波がきてしまったらとか、もしプカプカしすぎて沖からどんどん離れてしまって戻れなくなったらとか、そんなことばかり考えてしまう心配性のわたしに海はとてもハードルが高い。

だからなんとなく海って苦手だなという感覚が自分の中にあった。


でも沖縄でわたしの海への気持ちは大きく変わることになる。
海に入ることを強要されないから、気ままに海を眺め散歩をして、気分が良くなったら歌なんか歌って、夜は浜辺に星を見に行ったり、そんなドラマのような毎日の中でわたしは海が大好きになった。

何事においてもそうなのかもしれない。
これはこうするべきだ、こうなんだと決めつけてしまってはもったいない。
いろんな方向から見てみたら印象が変わることってよくあることだ。

クラス替えで第一印象があまり良くなかった人が後に大親友になることがあるように、
嫌いな食べ物が何かのタイミングで大好きになることがあるように。


水着を着て海の中に入る、それだけが海の楽しみ方ではないと教えてくれた沖縄の人たちからは、なんだかそんな、もっと深い何かを教わったような気がする。


実習は学ぶことがたくさんありますよ、なんて担任の先生が話していたけれど本当にその通りだ。

自分の価値観をひとつだと決めつけないこと

わたしがそう思えるようになったのは沖縄の人たちのおかげかもしれない。


仕事中バランスを崩し、コーヒーの乗ったトレイをお客様の前で思いっきりひっくり返したわたしに
「これで誰かが同じようなミスをしたら、私も経験あるよって励ましてあげられるね」と笑って声をかけてくれた。


沖縄でわたしが出会ったのは、そんな風に物事をいろんな方向から見る人たちだった。


これを書いている今日、千葉は35℃。
暑くて何もしたくない。スーパーに行くのも億劫だし、なんか背中に汗疹ができて痒くて仕方ない。

だけどこんな1日をわたしはどこから見てみようか。

#わたしと海

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