見出し画像

Be my guest!

面白そうなことをしていると、人が集まってくる。
少し距離を取って、自分は巻き込まれないように周囲を囲む。
『面白そうなこと』は、きっと他人事の『面白そうなこと』でその賞味期限を終える。

ある一線を超えないように経験談を聞きにくるのはいいが、
そこまで来るなら一緒に面白いことをすればいいのにと、つい誘いたくなる。

しかし違うのだ。
面白そうなことは、面白そうなことのまま。
実際にやってみて、面白くないことがわかるよりも、面白そうなままであった方がいい。

他人にかける『面白そうなことしてるね』は、きっとただの暇つぶしで。
面白い話と引き換えに払われた食事代はきっと、相手への敬意ではなく、
大画面に映し出される壮大なフィクションへのチケット代のような。

『つまらなそうなことしてるね』
と、せめて美味いものでも食ってくれと、差し出したくなるこの紙切れに、
いったいどんな理由をつければ受け取ってもらえるだろう。

退屈で普通な最低限度の生活

道を外れないこと。
倫理や道徳は、その他諸々の人間としての最低限を守り合って私たちは社会を形成している。

自分らしく生きるってなんだろうと考えることは、別にエリートコースを抜けることではない。
楽しみながら、やりがいを持って、誇らしく働きながらも、高収入である人なんていくらでもいる。
だけどなぜか、安定した収入を捨てることは『自分らしさ』を手に入れた証のようにも捉えられることも多い。

正直、お金がたくさんあった方がこの世界で実現できることは多いはずだ。
お金で買える時間は結構多いし、時間で買えるお金は結構少ない。
時給1000円で1日働けば、自炊しなくても1週間以上は食べていける。

収入を捨てなくても自分らしく生きられる道を探した方がいい。
よほど生活水準を下げても幸せで、いい女を抱くことに興味がなく、人との関わりをあまり好かず、ファッションや美容に無頓着で、サブスクの範囲で一生暮らしていけるという自信がないのなら、きっと今の仕事に食らいついた方がずっといい。

面白そうなことをしてみる。
きっとそれは他人から見れば、自分の人生を棒に振る人体実験を、知っている誰かが自腹で勝手にやってくれたくらいのことなんだろう。

『面白い話』の代金がディナー1食分もらえるなら、いっそ定期的に、講演会でも開催したら、彼らは来てくれるのだろうか。
きっと仕事や、家庭や、距離やスケジュールの、何かに縛られて、
いつもみたいに『行けないけど応援』してくれるのだろう。

人生賭博

美女との食事は余計に2人分の金がかかるのは、終電を逃した後の展開への期待的投資であって、一緒にいられることの幸せの具現化ではない。
出来ることならみんな、無料の馬券を買って、万馬券を当て、当たった後で購入額を決めたいのが正直なところだろう。

それでも自分のかっこよさと、そうあるべき男の格とをちょっとだけ心の片隅から引っ張り出してきて、関係性が成立していくんだと思う。

興味ではなく、好奇の目で見られることにも、結構慣れてきた。
面白そうと言われても、実際に面白いかを確かめるのではなく、面白そうで終わるこの距離感にも結構慣れてきた。

だから、つまんなそうな人と会うことが少なくなったのも、そのせいだと思う。
面白そうだと言われた後の『面白い話をありがとう』と払われる数千円よりも、
その面白さにどうにかして自分も関われないかと連絡をくれる人との他愛ない時間が好きだ。

夏休みに農業をして『こんな生活がしたい』と言うように。
旅先でお世話になった老人に『また来るね』と涙を流すように。
きっとそれは、その時の本心であるから悪意などない。

人の優しさも価値観も生き方も、変わるからこそ面白くあれる。
だから、一緒に面白がってくれる人がそばにいたらいい。

セイコウ法

口だけじゃない。行動で示す人でありたい。
どれだけかっこがつかなくても、自分で自分を表現する人でありたい。

面白そうなことが面白くなかったと、がっかりすることさえ自分だけの思い出にして。
やっぱり面白くなかったねと笑える友人がいてくれるのがいい。

面白そうなことをしている友人の、その裏にある面白くない現実を聞いて、
相手に勝手にがっかりするような生き方の、いったい何が面白いんだろうと、興味深くはあるけれど、面白がれずにいることも、きっと私は面白いと思える。

普通に大学を卒業して、普通に就職して、人並みに昇進して、普通に恋愛をして、普通に結婚をする。
そんな普通を『普通』と呼び、そんな幸せを求めても実現出来ない男を『面白そう』と呼ぶのなら、自分の普通が普通じゃないことを知ったら、もっともっと面白い人生になるはずだ。

大学生の8割が中退する世界になれば、きっと大学のあり方が変わる。
就職した新社会人の8割が1年以内に辞めたら、きっと採用のあり方が変わる。

普通を普通にしているのは、現状にきちんと収まって、普通でいてくれる人たちがいるからなんだと、感謝しているつもりで生きている。

普通には生きられない、そんな人生に足を踏み入れた自分の道を
『面白そう』
と認めてくれるその境界線を、あなたが敷いてくれることに安心している。

マジョリティの中で、マイノリティはそれだけで個性的に見える。
異端も異質も、挫折も失敗も、うまくはいかなかった末にたどり着いた先にある今に名前をつけてくれるあなたたちの『普通』に、きっと私も生かされている。

最後に

いつか、ディナーショーを開催しよう。
私が面白かった話を、私が好きな料理と、私の好きな場所に、私の好きな人だけを呼んで。
ワンマンショーで、来場したみなさんを楽しませよう。

『面白そうな』ではなく『面白い』と、私の人生から、言葉から何かを感じ、自分の人生との重なる場所に私を置いてくれた人たちだけを招待して。

ずっと私の人生を、一緒に歩んでくれた親友たちは、最前列の『S席』

ずっと周りで、連絡すればいつでも応えてくれた友人たちは、特別な『A席』

『面白そうなことしてるね』と、いつも境界線の外側から私をみていたみんなには
『"普通"席』を予約しておこう。

壇上の私から見えない、マジックミラーで出来た壁の向こう側で。
会場の私から見えない、画面の反対側で。
いくつかの無料枠を設けておくから、参加費は投げ銭システムでいいから。

会場にも、いくつかの空席を設けておくことにしよう。
座りたい場所に、座れるような。
今からでも、まだ間に合うという言葉を、会場の空席という形でしか表現できないけれど。

『面白そう』と飛び込んでくれる人が、1人でもいることを期待して。
壇上の、私の隣の。

今日の主役になれる『"自由"席』を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?