ハイスペック・ピノッキオ
嘘をつくと鼻が伸びる。
視覚的にわかりやすいからこそ滑稽に見える木彫りの人形は、それでも嘘をつき続ける。
嘘をついても鼻が伸びないから、平気で嘘をつく人がいる。
伸びている。
信頼されるまでの時間と。
心を許される関係になれるまで。
ぐんぐんと先伸ばしにされていくのがよく見える。
ついた嘘で伸びない鼻はそれでも木製の飾りでしかないから、煙の臭いを嗅ぎ分けられない。
いつかついた嘘が火種となって、メラメラと。
体に燃え移ればそれはよく燃える木の体。
炎上する冬の乾いた空の下で呟く。
鼻が伸びれば、この炎の外にある空気を吸えただろうか、と。
疑わしきは、罰せず、罰させず
『相手にバレなければ嘘をついても大丈夫』
そんなルールで生きている人を見ると、真実とはなんなんだろうと首を傾げてしまう。
後ろめたい自分を覆い隠して、綺麗にデコレーション。
でもそんな自分と同じくらい、相手も何かを偽っているんじゃないかと怖くなる。
正直に生きれば生きるほどに、裏切られることも多くなるのだから、いっそ自分も嘘をついてしまった方が楽なのかもしれない。
不信感は人を信じたいから生まれる気持ちであって、はなから信じたい人すらいなければ、誰も歌はうことなく生きていけるのではないだろうか。
そうなると、多くの友人たちに恵まれた人よりも、1人孤独に生きている人の方が、ずっと自分に正直なんじゃないか。
たくさんの人に囲まれて、それぞれに見せたい顔を作って生きる。
あの人にこれを言ったから、この人もあの人の知り合いだから。
整合性を合わせるのが日々の仕事になって、いつしか疲れてしまう。
1人ぼっちの孤独な人に出会い、安心する。
『あなたのことは、私しか知らない。だから、あなたの前では、本当の私でいられる』
誰よりも孤独な1人ぼっちは、誰よりも正直に見えた。
偽りのミルフィーユ
嘘をついて、その嘘を隠すための嘘をついて。
そうしていつの間にか、嘘と真実の整合性を合わせられる道しか歩めなくなる。
まるで1人で盤面をひっくり返しながら、何手も先を読んで竜王戦に挑むように。
『嘘をつかない』
という必勝法よりも、手元の持ち時間を気にしながら嘘を合わせていく。
さっき相手から奪った真実を、裏返して嘘に変えて、状況をなんとか打開する。
次の一手で、詰みになる恐怖に立ち向かうのが真の頭脳戦なのだろうか。
スマホゲームの課金みたいに、きっと嘘をつくことへの抵抗もどんどんと薄れていく。
だって、形がないのだから。
アプリを消せばお金が戻ってくるかのような。
みんなが忘れてさえくれれば、全て元の真実だけの世界に戻れるかのような。
ペンキで描いたアスファルトの上の落書きを洗い流す雨は、そう都合よく屠ってくれないのに。
嘘の上に、また嘘を重ねる。
落書きの上に重ねた芸術のつもりで『償い』と名付けたアートは、いつか先の自分が『偽り』と言う名でオークションで落札する。
面倒なことを始めたものだ。
ゴッホの贋作を描くために生涯をゴッホの真似で終わるように。
いつの間にか嘘が真実になっていく。
『嘘つきじゃないよ』『ホントだよ』
そんな嘘を、いつかホントにする作業に追われ続けている。
虚言四段
なぜみんな、そんなに頭が良くないのにあんなに軽々と嘘をつくんだろう。
自分のついた嘘を、いつ誰に何をどう捻じ曲げて伝えたかなんて、到底覚えてなんかいられないだろうに。
それでもその場凌ぎの嘘をついて、相手の『触れない優しさ』に安心する。
ゲーム理論のように、自分のダメージを最小限にするマクシミン戦略で生きていく。
そんなことに頭を使うなら、ダメな今の自分を受け入れた方がずっといいのに。
あの嘘を補う嘘を、頭をフル回転で捻り出す。
あの真実も、あの嘘が存在することで言えなくなって。
あの嘘のせいで、あの真実は嘘に変えてしまうしかなくて。
『本当の自分』を知るのはいつしか自分だけになった後で、取り返しのつかないヘソの曲げ方をする大人になる。
本当の自分なんて、どうせ誰もわかってくれない。
なぜなら、私が教えないからだ。
なぜ教えないのか。
それは、信頼できないからだ。
なぜ信頼できないのか。
それは、本当の私をわかってくれないからだ。
閉ざした自室の部屋の前には、きちんと3食のご飯が置かれる。
毎週水曜日は、真実相談所の武田さんが会いにくる。
『もうあれは嘘だって言って、やり直しましょう、ね?』
部屋の外から優しくかけられる言葉も信じられなくなって気づく。
嘘をついているのが、ホントの私なんだ、と。
最後に
正直に生きた方がいい。
少なくとも、自分には正直に。
そうでないと、嘘の便利さに飲まれてしまうのだから。
一見悪徳なようで、ただ正直に生きることを勧めているだけの人を、信じられなくなってしまうのだから。
『正直に生きるとね、こんないいことがあるんですよ!』
相談所の武田さんよりもずっと口の上手いスーツの男にすら不信感を覚える。
両親まであんな胡散臭いやつに騙されて、正直に生きることの大事さを涙ながらに訴えてくる。
また別の来客が訪れる。
『正直に生きなさい。皆、そう望んでいます。』
今度は何かの宗教なのかと、嫌になる。
正直に生きる人が羨ましいのは、きっと自分の何かを偽っているからだと思う。
未だ精算できない過去の嘘を、引きずってしまっているのだ。
嘘は止めに食い。中毒性がある。
しかし不思議なことに、禁断症状はない。
嘘をつくのを止めたら、スッと心が軽くなるはずだ。
自分の人生を嘘に合わせることも。
次に自分を嫌いになる時を待たなくても。
心の中に天使と悪魔を宿さなくても。
正直に生きていくだけで人生は結構簡単に進んでいく。
論理思考問題に安心しよう。
『この中に1人嘘つきがいます』
良かった。私のことではなさそうだ。さて、真実に辿り着く準備は万端。
そんなふうに、シンプルに解決していこう。
『私、本当のことを言うと、伸びるんです』
幸せに過ごせる時間も。
集中して考える期間も。
安心して関われる友人も。
伸びていくんです。この先の、伸び代が。
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