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フラッシュ・モブ

自分が主人公のはずの物語が、あっという間に終わる。
長ったらしいエンドロールもなければ、その後に暗示される意味深な続編へのフラグさえない。

残りの人生を消化試合で生きればいいやと無気力に考えていた5年前から、ずいぶんと世界が変わった。
いや、多分変わったのは自分のほうなのだが、そんな自分が、自分の世界を間違いなく変えた。

いい方に?悪い方に?
その結論を出すのはまだまだ先でいいと思えるほどに。

突然始まる歌とダンスに、戸惑いと気恥ずかしさを感じる。
ついさっきまで『あんなのは寒い』と言っていた自分が踊り出す。

とぼけたふりをしている私も、次の一瞬には踊り出しているのかもしれない。

起承転転

多くの人が就活で初めて自分を深く知る。
『自己分析』というかくも当たり前の習慣的行為を、職探しの必須要件として行うことで自分の人生を夢想する。

それでも自分を知った気になって入った会社は不満だらけで、
過去の自分に手のひらを返して罵倒する。
20年余りの人生を数冊の本の手順に沿って、サクッと数ヶ月で。
自己理解が完了した証明が、まるで『内定通知書』という名の卒業証明書で保証されるかのような人生選択を終わる。

昨日までの自分がいかに何も考えていなかったかに苦しむのではなく、
言葉にしてみたら陳腐で、軽薄な自分の数十年を、
『そんなはずはない』
と否定するのが自己分析なのだろうか?

今までの20年余りをこんな風に過ごしてきた自分でも、
大逆転の先にあるハッピーエンドに向かって。

未来の自分が、きっととんでもないサプライズを用意して待っているのだと信じるしかないような。

早く、誰か踊り出してくれ。
そうでないとこの人生は、ただの日常になってしまう。
ドラマチックな音楽を。
奇想天外な展開を。

この中の誰でもいいから、先陣を切って滑稽に踊り出してはくれないかと日々を過ごす。

Youdentity

自分を変えるのはとても簡単だ。
今までの自分がするような、その範囲の外にあることを片っ端からしていけばいい。

何十年の、無意識の蓄積と環境要因でなんとなく作られた自分を、
『アイデンティティ』
『個性』
『自我』
『自分らしさ』
そんな名前で呼んで自分を守ろうとしなくても、
次の一瞬から自分の意志で作り上げる自分の方が、何倍も大切にしていけばいい。

ファーストペンギンが例え臆病で狡猾なセカンドペンギンに叩き落とされただけの哀れな生贄だったとしても。
下に待つシャチやアザラシを得意のジョークで笑わせて、
その翼で切り開いた大海原の先でハッピーフィートを高らかに歌い上げればいい。

自分で決めた自分のキャラを、責任を持って演じ切ることが人生でもいいじゃないか。
そう生きたいと願った気持ちだけは、確かに『あなたらしさ』なのだから。

よちよちと歩く。腹で雪の上を滑る。
骨格的に全力疾走ができないから、叩き落とされた海の中で、
『飛べない鳥』が『海を舞う弾丸』に変わるように。

天変地異の日常

自分らしくないことをすると、きっと周りは反応する。
今まで私など眼中にないような振る舞いをしていた人たちが、こぞって批評を始める。

『どうかしてしまったのか?』
『なんか面白そう』

賛否両論のコメントが縦横無尽に駆け巡る画面の中で、ひな壇でも目立ってやろうと大げさに表情を作ってみる。
いかにも編集に使いやすそうな。
それでいて、本題の動画を邪魔しないような。

毎晩寝る前に歯を磨くのは、別に個性的じゃない。
人生で何万回も繰り返すのだとしても、それは決して個性ではない。
人気No.1のメニューだけをオーダーするのも、
優しさに触れてあったかくなるのも、
それらは人間らしさであって、自分らしさではない。

習慣という名もつけられず繰り返してきた行為の中で、その習慣から少しだけ外れたことをすれば自分がわかるような気がして。
そこには自分の人生の正解や、明るい未来や、頑張らなくても画期的な解決策が埋まっているような気がしてしまう。

あくまで自分の中で生きてきた自分も、世界の中で生きてきた自分の中にしかいない。
46億年の歴史でもそんなに変わらないこの地球に変化を求めるのではなく、たった数十年を生き、残りたったの数十年の自分を変える方が、きっと楽なはずなのだから。

最後に

つい数秒前までは普通のディナーのはずだったのに、
気づけば周りの全員が踊っている。

今日の集合時間も。お店も。
決めたのは私だというのに。
いつの間にか世界は私以外で結託し、私を驚かせようと綿密な準備をしていたようだ。

さっきまでとぼけた顔でキョロキョロとしていた彼も。
杖をついていた老人も。
仏頂面だったウェイターも。
陽気な音楽に乗せて次々に踊り出す。

そんなフラッシュモブに、一番のモブは誰なのかと思い知らされる。

きっとこの先にある展開は、私になんらかの判断が任される。
その答えは、私が決めたものではない。

プロポーズなら、それは成功で。
誕生日なら、それはありがとうで。
私じゃない、私以外の全員が決めた展開に、私は誘われる。

なってたまるか。
そう固く結んだ唇を開いて、満面の笑顔で踊り始める。
例え次に誰も続かなくても、私は踊り続ける。
フラッシュモブ。

予想外の展開に驚く私以外の全員のモブの目に映る、
『私』という、眩しいモブが。

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