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足の早い命

人は『期間限定』に弱い。

『期間限定』と言われた瞬間から、脳内に表示された残り時間ゲージがどんどんと少なくなっていく感覚に陥る。自分に関係があろうとなかろうと、ゲージが減るのを見ているとなんだか焦る気持ちになる。

人生の時間は不可逆だから、人生の中にはいくつもの『期間限定』が存在する。

トンボを追いかけていたあの頃には戻れないし、手を繋ぐことにドキドキしたあの頃にも戻れない。全ては期間限定のライフイベントだ。

時間という制約が人生に『可思考性』を与えている。『可思考性』とは一般的な言葉ではないが、つまりは『人間の頭で考えてどうにかなる性質を持っている』ということ。時間の制約がなければ、人は人生の計画を立てることはできない。

ただひたすらに『いつかやることリスト』を作って数百万年が一瞬で過ぎ去ってしまうだろう。

期間限定の人生のお安売り。バーゲンセールは戦争なのだ。

甘やかしリミット

小学校から大学院まで、一般的に『教育』として括られる機関には『在籍期間上限』が設けられている。

高校3年生になったら卒業して、大学4年生を終えたら就職をする。定期テストも部活の大会もサークルのイベントも、いろいろな種類の『期限付きイベント』で、若者達は計画を立てることの大切さとその心得を学ぶ。

しかし、社会に出た途端、期間は『無期限』となる。

ハッピーな終身雇用が根付くこの国では、幸か不幸か。何も考えていなくても会社に居続けることは出来る。だからこそ人は『いるだけ』になる。『辞めていないだけ』を続ける。

社会人になって初めて、人は『自分で終わりを決めること』に挑戦する。過去22年間にわたって他人が決め、自分ではその決め方もわからない行動を、人生をかけて決めないといけないのだ。

自分は計画性があると自信を持っていた人間達もようやくここで気づく。

『時間が決まっていたら逆算できるけど、決まっていないから何も計画できない』

スイッチ式時限爆弾

様々な人からの転職相談が舞い込む。正直、ただ会社が面白くなかったから退職し、そもそも他の企業への転職活動をしていない俺に相談するのも期待薄な感じもするが。

『いつ辞めたらいいと思う?』そんな問いを俺に投げかけられても『辞めたい時が、辞め時だよ!!』なんて家電の買い替えくらいのノリでアドバイスができるはずもない。

『いつ辞めたらいいのか?』今まで22年間、『小学校6年間』『中学3年間』『高校3年間』『大学4年間』と、時間を数字で決めるという方法でしか終わりを意識してこなかったのだからわからないのも仕方がない。

そもそも考えてみよう。『なぜ小学校は6年間なのか?』

それは、6年間くらいないと、平均的に日本の中学校に進学するための学力や経験が身につかないからなのだ。最初から6年間と決まっていて、そこに教育内容を詰め込んでいるわけではないはずだ。

『社会に出たらまずは3年間働いてみよう。そうでないと、働いたことにはならないぞ!!』15年近くも働いているはずなのに、15年働いたとは到底思えない上司が言う。

時間は勝手に流れていく。だから毎日電車に乗って会社に行き、机に座って仕事っぽいことをし、出来なくても怒られればそれで終わり。そうやって15年を過ごせば『実績』というものが手に入るのだ。

『3年働く』そこになんの意味があるのだろうか?それは、自分の人生の時間の使い方から逆算しないといけないのだ。

ウルトラフレックス査定制度

どうやっても、会社は期限を決めてはくれない。

『お前はこの会社で6年間働いた後に転職するのがベストだから、そのつもりで教育していくぞ!!』なんて世話を焼いてくれる上司などいないし、いたとしたら『お前が決めることじゃねぇ』と悪態をつきたくなる。

だから、自分で期限を決めないといけない。しかし、『何年』という数字では決まらない。

自分の終わりを決めるには『○○を達成したら終わり』という目標をゴールにしなくてはならない。

俺が会社を7ヶ月で辞めたのは①『1回社会で働いてみること』 ②『向いていないと確認すること』の2つが達成されてしまったからでしかない。

なんとなく『会社選択ミスったなぁ』と思いながら仕事をし、半年しても状況は変わらないので十分に『会社選択をミスった!!』と確信が持てただけの話だ。

自分の人生の目標が『この会社で働くこと』ならば、方法に拘らずにさっさと働いて残りの人生の目標がなくなってしまうといい。

『目標くらい決めている』と反応したくなる人も多いだろうが、達成したかしていないかを主観で決める目標など立てていないも同然だ。『自分の価値基準を変更する』という方法で、その目標はいくらでも瞬時に達成できてしまうのだから。

最後に

みんなたいそうな『人生計画』を語る。

将来的に美人で性格が良い女性と結婚したいなら、今の女遊びが『悪い過去』になるとは思わないのだろうか。きっとその『人生計画』は、計画ではなく願望の集積だ。大事なのは実現ではなく、それを語る自分であり続けることだ。

自分の終わりを自分で決めるのも、人生の責任の一つだ。

いつまでも何も捨てられずもったいないからとなんでも抱えていると、そのうち鞄の中は腐った刺身でいっぱいになる。食えもしない異臭を放つ生ゴミを、大事に抱えて生きてはいないだろうか。

人生の計画なんてものは往々にしてどこかで破綻する。だから人生は『人生』という単位で考えるべきではないと思う。

人生を細分化し、いつまでに何ができていれば成功なのか。いつまでにどうなっていれば幸せなのか。いつでも下方修正可能な意味のない数字ではなく、譲れない数字を長距離走の種目名としよう。

1つの種目のプロになるのは難しい。だから期限を決め、達成できなければ2つの道しか残されていない。

『適性がないと判断して辞める』のか『自分がやりたいから続ける』のか。

どちらも自己責任。どちらも未来のことはわからない。そもそもゴールも決めぬまま走り出し、競う相手のいない世界記録の更新を掲げ、3つ目の選択肢を選んでトラック上で迷う人達がいる。

『いつになったらこのレース終わるんですか?』

そう聞いたら、そこで試合終了ですよ。

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