見出し画像

転職のすすめ

昨年末に転職をし、新たな環境での新年を迎えることになった。
今年は友人の何人かが転職活動を開始するとの報告ももらったので、せっかくの機会として文章にして自分の転職活動で感じたことを記録しておこうと思う。

特に自分をよく理解してくれている友人に読んでもらえたらいいなと言うくらいの備忘録なので、構成などはこらずに思いつく限りに書き始めようと思います。なのでもしも初めて私の文章を読む方がいたら、それでも大丈夫であれば読み進めていただけると少しくらいは得るものがあるかなくらいには内容があればいいなと思っています。

なぜ『転職』と言う手段なのか

現状の仕事から逃げるという目的なら、それでも全然いいと私は思う。
だって、逃げ出したいくらいの場所はきっと、ただ自分の時間をお金に変換するためだけのものだと思うから。
だから、転職は手段である必要があると思う。夢を叶える手段でもいいし、やりたいことをする時間を作る手段でもいいし、今の自分を変える手段でも、とりあえず今の目の前のことから逃げ出す手段でもなんでもいい。

ただ、手段である以上は、目的があるべきだ。
べきというよりも、そうでないなら今の仕事にどんな不満があろうと続けた方がずっと人生の経験価値は担保されるはずだ。
正直、仕事を変えて変わるものは、仕事に関連するところだけ。
別に自分の顔が整形級にイケメンに変わることもなければ、転職したらマッチョになるわけでもないのだから、転職という手段で変えられるのは仕事に関連する部分だけだと現実は受け入れないといけない。

収入を上げようにも、転職ではなく社内での昇進や資格手当てをあてにしてもいいし、副業でもアルバイトでも方法はいくらでもある。
転職するには転職活動はある程度はちゃんと大変だろうし、新しい仕事に慣れるのも努力が必要だ。
もしも今の仕事が辛いから、やりたくないからという理由での転職が、自分の人生を大きく変える手段だとなんとなく思うなら
『目的』と『理由』を決めてからでないと、多分『転職のために働く人』にでもなってしまう可能性もあると私は思っている。

私の場合はというと、正直今回の転職は
『そろそろお金が減ってきたから』

『仕事しないのにも飽きてきたから』
の2つが大半を占める。
半年間無職で旅行をしていると、驚くほどにお金が減る。
クレジットカードは来月の収入があるから使うべきであって、減っていく一方の口座残高なら単に引き算だけをその場でしていけばいいと、日々その数字を見ながら痛感した。

そんなわけで、私が『転職という手段』を人生選択に当てはめたのは、
それはそれは消極的で、永遠にだらだら出来る今が続かないことを少なくなっていく数字が教えてくれたからということになる。
生活をし、多分人間が他人を尊重出来るためには、仕事をしている必要があるのだなと思うし、社会人のステータスのほとんどを占めるのは仕事だろうとも思う。
だから人は仕事をし、自分のしている仕事に自分の人生や評価を重ねるのかもしれない。

転職はあくまで手段だ。
万能の解決策ではない。
人生は転職で全てうまくいくようにはならない。
だからこそ、転職という手段で何かを変えるための、手段としての転職なのだと思う。

希望条件と理想条件

今回はエージェントに登録をして、幸いにも素晴らしいエージェントさんにお世話になることができた。私の人生における転職の位置も目的も、理解した上でのパートナーとして頑張ってくれた。
次は求人応募までの段階で何を考えていたかを話していこうと思う。

たぶん、転職市場はアンマッチがほとんどだ。
求職者側は、今の仕事から逃げ出したいだけなのに、自分の可能性と次の自分の変化を信じて、無謀な条件を希望する。
おおむね『理想 = 希望』として条件を決めてしまうのだと思う。
企業側は、なるべく自社をよく見せようとするだろうし、悪く言ってしまえば職場としてあまり魅力的でないのにいい人材を欲しがる。
どちらも当たり前で、そりゃそうなんだが、だから次の職場は決まらないし、だから人材は充足しないのが日本の転職市場の悩みなんだろう。

『希望条件 ≠ 理想条件』

これだけは、自分の希望条件を暫定的に決めた後でもう一度確認しておいた方がいいと思う。
前職は確かに自分のキャリアを証明してくれるものではあるが、少なくともそこで働き続けないことを選んだ自分が、新しい場所に何を求めているのかははっきりさせておかなければいけない。

転職は『良くなる活動』ではない。
『良くなるかもしれないし、悪くなるかもしれない活動』だと理解しておこう。
求人は魅力的に見えても、全員がその働き方をしているわけではない。
だから自分が最低限尊敬できる社会人、同僚でないことには、周りは自分に対して快くは接しない。
そんな当然を理解しないで職を変えると、結局は
『本性を表すまでの期間だけ居心地がいい職場』という、一定のグラデーションの期間を繰り返して、以後ことが悪くなったら転職するということになりかねない。

理想条件をまず出してみて、なぜその条件が前職で叶わなかったのかを考えてみよう。
年収は、多分それに見合う働き方をしていると評価されなかったからで。
怒られるのは、自分が誠実ではない態度で仕事に臨んで、同僚を尊重していなかったからで。
そんな風にネガティブに考えてみて、少しでも心が痛かったら、それでいいのだと思う。
せっかく自分の生きる世界を変えるんだから、自己分析よりも先に、だめだった自分も、できなかった自分も抱きしめる機会にしてあげる。

理想の条件というのは
『俺の考えた最強の職場』
ということだ。
仕事しなくても毎月1,000万が振り込まれるのは仕事ではなく不労所得なので除外して、
『誰にも怒られないし、定時に終わるし、ボーナスはちゃんと出るし、自分が面白いと思える事業をしていて…』
そんなのでいいのだ。多分、その会社は日本にたくさんある。
そこに行けるかどうかが、転職活動なのだと思う。

理想を並べてそれが叶わないことをおかしいというのではなく、理想の職場と現実の自分の間にある『実現できる希望』の中で働くために頑張る活動。
きっとそれが『転職』なのだと考える

求人

希望条件がある程度ざっくりと言葉にできたら、実際に求人を見ながらイメージをしていく。
残業が20時間程度なのと、固定残業代が20時間分出るのは働き方が違う。
風通しのいい職場と、積極的に意見を出してくれる方を求めている職場も違う。
福利厚生に社員旅行があって業務外のコミュニケーションが多いのは、別に万人に対する福利厚生じゃない。
10万円分の同僚との旅費を出してくれるなら、月に5,000円分の書籍代を出してくれた方が嬉しい人もいる。

人にはそれぞれの『魅力的な職場』がある。
私の場合は、残業は見方さえ変えれば『業務直結の勉強を金をもらって出来る』というボーナスタイムであるし、それが月20時間なら嬉しいし、月80時間なら苦しい。
自分の各項目についてのグラデーションを、はさみ打ちの原理で範囲を狭めていくと、具体的な自分の働く姿が見えてくる。

求人に書いてある内容は、定形的に決められている項目以外は企業採用担当者と仲介業者の企業担当で『魅力的に見える書き方』がされている。
だから、文章がそのまま職場を表現するというわけではない。
あくまで『現状メンバーでそこで実現できる最高の働き方がそれ』という紹介がされているのを理解しておく必要がある。

その中で自分がどう働くかは、結局は自分次第。
残業時間が月40時間なら、残った時間でしか人生は進まないのだから、自分のプライベートの使い方までも考えないといけないのは言うまでもない。
転職は全てを解決する手段ではない。
何もかもが良くなる魔法でもない。
だからこそ、具体的に自分の守りたいものを守れるのかどうかは確かめて求人を見ないといけない。

求人の文章を読み込むことは、後述する質問や面接でのお話にも通じてくる。
面接を担当してくれる企業担当者は実際にその求人の文章の場所で働いていて、その文章にはないことを自分で聞き出しながらお話をしていくというのが望ましい。
『就活は情報戦』と新卒の時に意識高い系就活生が言っていたが、お前の人生は情報戦じゃねぇのかと聞きたくなったのを良く覚えている。
なんでもそうだと思う。情報戦じゃないものを人生でやる方が、多分難しい。
現代社会において情報0で何かをやることなんてほとんどないんだから、情報をいかに取得し、どう理解するかは常に戦いのはずだ。

職務経歴書

自己分析をしなくても、職務経歴書は書ける。
自分がどうしたいかではなく、どうしたかを書くのが職務経歴書。
だから、自己分析の一環としてくらいでいいので職務経歴書はじっくりと整理して書くことに大きな意味がある。

私の場合は、職務経歴書を書いたことで以下のようなことがわかった。
・プロのエージェントや企業のマネージャー格の方から見ても、文章作成力や思考の整理、棚卸しなどが得意
・やってきたことはユニークだし実績とも取れるが、書面上で見ると資格などでのスキル証明がないので雑魚い
・背景や動機の説明がないと、自分の人生選択は人には理解されにくい

自分の今までしてきた仕事の数年分がA4用紙2枚分くらいの量にまとまってしまうのだから、多くの実績を上げてきた人は凝縮され価値の高いもの順に並んだ職務経歴となるし、なんとなく仕事をして何も成してこなかった人は抽象的で『頑張った経験』になってしまう。

どうあれ、職務経歴書にまとめられた自分の何年間かの歩みは、なんだかいいものであった。
『書類選考を通過する』というのは、
これを読んだ、少なくとも自分よりも仕事を長くしてきて、なんらかの人材を求めていて、一緒に働く人を探している社会人の先輩が読み、『話してみたい』と思うことなんだと。そう実感することができた。
だからこそ、1文字の誤字でも見つけたら修正し、エージェントさんからの指摘にも共に文章をブラッシュアップしていく楽しみがあった。

学歴も職歴も、今まで自分がどれだけ頑張ってこれて、どこまでしかいけなかったかがそこには書かれている。
そして、そんな道のりを歩んできた次のキャリアに、自分の会社の名前が書かれることを望んでくれている人たちとの出会いの可能性に繋がっている。
PDF形式ではあっても、その紙の、まだ入りきらない先に自分の未来があって、これから経験する仕事も繋がっていくストーリーの1章なんだと思えた。

求人の文章から一緒に働く人たちの姿が想像できたら安心なように、
職務経歴書からも自分の働いてきた姿が見えたら、それはいい職務経歴書なんだと思える。

新卒就活のESのように、自分の数少ないエピソードを企業によって見せ方を変えるのではなく、自分の仕事の軸に次の職場がマッチするかという点でみていくのも、転職活動の面白いところだ。
転職活動は納得のいくまでやっていい無期限の活動だから、終わりを決めるのは100%自分だ。
経済的な理由を除けば、自分の人生の1/3の時間をどう使うかには、いくらでも時間をかけたらいいと思う。
むしろその人生の決断を、サクッと終わらせるのはあまりよろしくない。
内定を出してくれるからいい企業だとか、収入が高いから自分は認められているんだとか、自分の人生の価値は、誰かに決められるそんなシンプルなことではないのだから。

面接

何をおいても、転職活動の1番の醍醐味は面接。
新しい人材を求める人と、新しい仕事を求める人が出会い、お互いに少しだけ探りを入れながら互いの仕事観の確認をしていく。
『理解』という目的に対して、真剣な1時間を最大限に楽しんでいくべきだ。

まずは、職務経歴書が通過しているという前提からして、そこに書いてあるスキルは経歴はOKの範囲ということだ。
だから『実務上のスキル』と『一緒に働ける人か』、『うちで頑張れるか』などを面接官の方々は見ているはずだ。
転職面接のいいところは、自分の上司となる人に入社前に会えるという点だと思う。そして、自分をマネジメントする人と対等に話せる場であるということも言っておきたい。

入社したら、その人が自分のミスの責任を取ってくれ、自分の活躍で仕事がしやすくなり、自分が頑張ることを喜んでくれる人なんだと感じられないといけない。
その点では、マッチングというよりもお見合いに近い気がする。
自分の生涯のパートナーとなる人と、前提とされる関係性を結べるかを確認するのだ。
自分はきっとこの人に注意され、アドバイスをもらい、この人に相談し、この人と毎日世間話もする。そんな日常が続く未来を、歩みたいと思えるのかを自分の心に尋ねる必要がある。

多くの場合、ここで『求職者として振る舞ってしまう社会人』が多いのだとエージェントさんが語っていた。
面接を担当する未来の上司を、単に自分を一時的に評価する人としてみてしまうと、マッチングはおかしなことになる。
体調が悪くてもご飯を作り、転んで泥だらけになって帰ったらそれを洗濯するのが夫婦なのであって、決して毎日結婚式をして、プロポーズを週5でする間柄ではない。それを勘違いしてしまうのかもしれない。
面接の場でいくらいい求職者になり、いくらいい面接官になっていたとしても、それは外側同士のお話であって内の関係性ではないことを理解する。

私は今回、自分のお仕事観を積極的に話すことにした。
自己学習はどんな風にしていて、どんな時に疲れてしまうのか。どんなお仕事スタンスで働いていて、どんなことがあるとモチベーションが下がってしまうのか。なるべく
『上司との0回目の面談』
と思って面接をすることにした。
そしてあくまで、私のしてきた仕事を相手は経験していないから、語る時には講演者のようにわかりやすく、自分がイキイキと話したいエピソードをお話するよう心がけた。

私は、この部分が最も転職面接の重要な部分だと思う。
新卒の就活は『自分と会社の』マッチングだ。マッチングと言っても、正直に言ってしまえば基礎能力の高さと最低限のコミュニケーション能力である程度はどの企業も突破できる。社会人歴がない学生からの選抜なのだから、企業側もそれなりにスペックを見るしかないからだ。
しかし転職面接の場合『部下と上司の』マッチングとなる。
もちろん最低限の能力とコミュニケーション能力はあってありがたいものではあるが、ニッチな経験も『面白いから』ではなく『活きるから』必要となる。
上司は人事的な要件だけでなく、自分がマネジメントをする立場として求職者を見ることができるし、部下は自分の相談相手として信頼できる人を見極めることができる。

転職面接においては、双方が覚悟を持って入社することができるというのがミソだ。いわゆる配属ガチャは起きにくいし、双方が自分で選んだという過程を踏んで仕事をスタートすることができるのだ。

質問

『逆質問』と新卒就活では呼ばれるが、転職面接では単に質問ということでいいだろう。上司の個性を知ることも、自分のスキルが活かせるかも、求めている成長が出来そうな会社であるかどうかも、これらを入社前にそこで働く本人から聞くことができる。
私の場合、1つの質問を、自分の上司となる可能性のある全員にした。

『部下が失敗をした時、どんな風に対応しますか?』

様々にマネジメントを経験してきた方々が真剣に質問に答えてくれたことで、私の転職活動はうまくいったと言ってもいいと思う。
実際に自分がミスをした時、どんな対応をするのか。同時に、自分がミスをした時、どんな風に修正しようと試みるのか。私が長く働くには、そこが重要だった。だから、多少は上司を試すように聞こえる質問だったかもしれないが、すべてのお話した方に同じ質問をし、その回答からも自身の働く姿を想像してみた。

事業内容や会社の立地や福利厚生よりも、やはり自分のモチベーションは
『誰と働くか』
に最も大きなウェイトを置くんだと、短いながらも社会に出てからの4年弱でわかっていた。だから一度は、1人で仕事ができるフリーランスに憧れたこともあった。
だからこそ今回の正社員への転職は、誰かと共に働くことをもう一度求めた結果でもあった。自分が誰かにマネジメントされることで成長し、人間としても何かを感じる。いずれは自分が誰かをマネジメントし、さまざまな壁に直面する。それらを、会社という組織の中で経験することも自分の人生に加えようと思った。

その点も、何人かの面接官の方からは『フリーランスから正社員に戻るのは比較的珍しい選択だと思いますが、なぜ今回の転職はその決断をしたんですか?』と質問をいただくことができた。

人が人に質問をするのは、もっとしっかりと理解したいからだ。
藁をも掴むということではなく、些細な話し方や言葉選びからも相手をより正確に理解したいからだ。
今まで、私が魅力的に思う人は、いい質問をしている人たちばかりだった。いい質問というのは、本質をついたとか、話が弾むとか、そういう話術的なことではなく、純粋にその人が不思議に思っていたり知りたいと思ったことを素直にぶつけるための質問のことだ。
自分がコミュニケーション能力が高いという人がしてくる質問ほど、その後にどう話を展開させたいかがわかりきっていたし、いかにも自分が会話の主導権を握って盛り上げているんだと言いたげな質問だった。
『しゃべらせる』というだけで『聞き上手』になろうとする人たちの質問内容は、たいていそんな類であることが多かった。

面接での質問は、まだ上司ではない人に、少しだけ失礼かもしれないけれど率直に聞けるという1つの試練なのかもしれない。そして、一社会人同士のフラットな価値観の確認でもある。
働き始めてしまえば、その人と自分の間には上下が生まれる。上司と部下には、組織的な上下関係があるから秩序が守られている側面がある。転職面接では唯一、将来の上司とその関係性を無視して真の意味での対等な状態で質問ができるのだから、有効に活用しない手はない。

まだ働いたことのない学生ならまだしも、社会人経験を積んだ求職者はそれなりの労働への哲学があって欲しい。だから、気になる部分も、知りたいことも、個性があってほしい。
そう考えると、新卒の就活での逆質問は1時間の内の5分程度だが、転職での質問は1時間の内の20分ほども費やしていたのもうなづける。

最後に

好きなように転職を語ってみたが、やってみて初めて新卒の就活との大きな違いを感じた。目的がそもそも違うのだ。
人員の補充や、安定的な人的資源の確保、ポテンシャルでの採用など、新卒の就活はその後の成長と可能性に重きを置いている。
一方で中途採用は、即戦力とはいえど、上司とのマッチングで成り立っている。それぞれのマネジメント哲学の中で事業方針に沿って人員が必要になり、しかし目指す組織の形はさまざまだ。チームに必要な人材をスカウトする。

求職者も採用側の上司も、ある程度言い訳が出来ない状態で業務を開始し、その上下関係を結ぶ。
誰かが何らかの指標で認めた『ポテンシャル』と『個性』を信頼の根拠にしなくていい。人事が何らかの指標で決めた『適性』と『成長』を今後の自分のキャリアにしなくてもいい。
新卒の就活にも、一定疑問を覚えてしまった。アンマッチの多発にも納得だし、新入社員が病んでしまうのもわかる。

同時期に新卒就活の準備を指導していたからこそ、ポテンシャルという曖昧な表現で上下を完全無視したかのように学生を鼓舞し、個性という誰にでも何かしらあるものをいかにも特別なものとして語らせる様式にも不思議に思えてしまった。
その波に飲まれて、自分のキャリアを夢いっぱいに想像することも。確率的に発生する落選に自己否定を感じることも。数年してしまえばいくらでも自分の行動次第でもっと良いマッチングが経験出来る可能性があることを見せないようにもしているのかもしれない。

今、次の転職活動を考えていないことが、ひとまず今回の転職が成功だという私の根拠だ。
目の前の業務に自分の経験は活きる気がする。
これからの業務で、自分は成長する気がする。
同僚のみなさんとのコミュニケーションは、日常になる気がする。
いつかする失敗を、前向きに捉えてくれる上司に出会えた気がする。

現時点ではまだそれくらいの感覚ではあるが、入社後には後は自分がどう振る舞うかだ。アンマッチは、学生時代とは違ってもう言い訳には出来ない。
そこまでこだわったからこそ、新しい職場を自分の意志で決めたことを、忘れずに働きたいと思う。

そのうち、自己分析についても書こうかなと思う。
自分を知らない人が多いと感じる世の中だ。自分の可能性ばかりを信じ、事実と過去を無かったことにして、それでもその過去から何かを掘り出して未来を作ろうとしているような、そんな違和感を感じることが社会人に対して多い。
長くはなりましたが、読んでくださった方、本当にありがとうございます。
もしも転職活動をする時があれば、素敵なマッチングが成立することを願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?