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#93 ドリル!ドリル!ドリル!

ベースの指弾きが上達しない。理由は明確。それは、基礎がないからだ。幼少のみぎり、かけ算九九を会得したおかげで、微分積分で挫折するくらいには立派になった。数学の基礎を培ったのは団地時代のトイレ。壁に貼った九九表が原点である。ベースのベースを構築するために、YouTubeに「ベース 指弾き ドリル」と打ち込んだ。娘と一緒に首振りダンスなんてやっている場合ではない。


それにしてもYouTubeには何でもあるなあと。児童用タブレットで、視聴を一律禁止にするなんてもったいない。要はあれだ、能動的な使い方を教えればいいのだ。実際、小さい頃からガンガンYouTubeを見まくった愚息は、既にYouTubeに興味がない。飽きるほど触れさせれば、自ずと離れていく。そんなものだ。丁度いいドリル動画を見つけた私は、8分間画面上のベースプレイヤーと一緒にドリルを行なった。「で、できない…」できないことを知るのは悪い気はしない。四十代の大人は、確かなドリルで量をこなせば、ある程度の結果が保証されることを知っている。一万時間の法則に従い、一日六十分練習すれば、三十年後にはミュージック・ステーションにシニア枠で出られるはずだ笑。

以前、サッカー部の指導をしていた頃、小六最後のフットサル大会で、無双状態に入った児童を思い出した。そのプレーに引っ張られ、チームは史上最高の成績を収めることができた。彼は周囲のおふざけに流されることなく、手を抜かずに、毎回トラップやインサイドキックのドリルを行なっていた。「何かがカチッとはまる音がした」、試合後の彼から出た名言である。思考と肉体のマッチング。

ハイキュー!!で、孤爪研磨は「レベル上げは嫌いじゃないし」と、バレーの練習をRPGゲームに例えた。宿題でよく出される、漢字・計算ドリルもレベル上げの一種である。「何回も同じことやらすな!」と7割5分くらいの小学生が思っていると思うが、深く考えなくても、すっと答えが出るレベルに到達することが重要なのだ。ネイマールは、「右に重心を置くと見せかけて、左に切り返してやろ、ほほ。」とか思わないで、細胞レベルでドリブルをしているはず。

前述した彼は、今はサッカーを辞め、高校でバドミントンを楽しんでいるそうだ。よく自転車をこぐ姿を見かけるから、きっと自転車で通学しているのだろうなあと。「この自転車通学も、きっと彼なりのドリルなんだろうなあ。」と想像しては、自分のプニプニした左手の指の腹を見て、今日もYouTubeでベースドリルを頑張ろうと、心に誓うのであった。

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